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山田家物語 第7章 「剛の学歴」

(注)これは #ペクトラジ  の続きです。
 
 
父の金一が下関市役所正社員になることにより
経済的にも安定し、剛は進学の道を選べたのである。

決して成績の良くなかった小学時代
母明子は、これからは「学歴社会の時代」となる
と読み、剛を塾通いさせた。

当時の塾は、家庭塾で
8畳の間に、生徒4~6人集め

先生が3教科程度教えるのである。
塾の先生も相当な学力を必要とした。
塾生は金持ちが多く、そのなかでも貧乏な
剛の学費は、明子がパートをしてかせいでくれた

金一は大地主の長男で、子供時代何一つ苦労せず
そだったので、子供の教育には無関心で
あった。
剛が進学校に進めたのは、明子の力なくしては
なしえなかった。

もともと金一の血を引く剛は
メキメキ頭角をあらわし
中学時代は、ほぼトップクラスにいた。
当時、学費の安かった県立高校にも
簡単に合格できた。
(当時は私立より県立のほうが
難易度が高かった)

さて、つぎは大学進学である。
団塊の世代付近は、中卒・高卒も
「金の卵」ともてはやされ
中卒で就職するものもかなりいた。
大学進学など、ほんの一握りである。
就職先は東京や大阪に集中していたけれど
「寮・まかないつき・保養地あり」など
今の時代では考えられないくらい
当時の労働環境は整えられていた。
 
金一は「高卒で十分じゃ」
明子は「こらからは学歴社会ですばい」
と意見がわかれたが、明子の強い説得で
金一は折れた。

剛の成績では、一流大学は無理であるが
三流大学なら可能性があると
担任の先生から言われた。
三流大学であろうと、入学・卒業すれば
「学士様」である。
就職にも有利である。

剛も強い後押しのもと
受験すると、一発で合格した。

大学の4年間は省略し
社会人となったある日
父の金一は、交通事故でこの世を去った。
まるで剛が無事に社会人になるのを
まっていたかのように。
波乱に満ちた金一の人生であった。

山田家物語 完
 

以下、私的生活「マイライフ」に続きます。

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