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都忘れ

この毛呂山町に転居してから数年後、
近所の「おじいちゃん」から花を数株戴いた。

「ミヤコワスレというありふれた花だが、
庭の片隅にでも植えておくれ。」

もちろんそのかたをお呼びするときは本名なのだが、
家のなかで妻と話すときには、
「○○のおじいちゃんから戴いたよ」という按配である。
 

今はかなり交通の便も良くなったが、
当時は東京まで通勤に二時間を要した。
夕食は帰宅してからでは、腹がもたないし、
第一、 妻に負担をかけることとなる。
そこで、中野界隈の小料理屋で
夕食を済ますことが習慣となっていた。
小料理屋といっても、居酒屋風の店で、
夕食の定食サービスがあり、
ビールグラスを傾けながら、
簡単に夕食をとることができた。
 

ある日、いつもの店に立ち寄ると、
そこに身綺麗な初老の紳士が一人、
お銚子とグラスで手酌という姿をみかけた。
店内はわりと混み合っており、
隣の席があいていたので、軽く挨拶をし、
ご一緒させていただくこととした。
定食を注文し、ビールを飲み始めると、
その紳士は、おだやかな口調で話かけてきた。
そのかたは、植物に詳しいようで、
山野草の生育地などを教えていただいた。
私も植物は好きなので、目を輝かせながら
聞き入っていると、
やがて紳士は「都忘れ伝説」を語り始めた。
 
「戦に敗れた都人が、都を追われ、
佐渡に流されたときに、悲嘆にくれた
生活をしていたが、
村人がそれを気遣い、
春に咲く野菊の様な花を贈ると、
そのあまりの美しさに、都での苦しみを全て忘れ、
その後、立派な文人となった。
その逸話から、野菊のような花を【都忘れ】
と名付けられたという伝説があるのです。」
 
紳士は年下の私に対して、
丁寧な口調で語り続けた。

「しかしあなたは野菊のような素朴な花に、
その様な霊力のようなものが
あると思いますか?。
古来より贈り物が喜ばれるのは、
その質では無く、送り主の気持ちを
喜んだのではないでしょうか。
私はその優しい村人の気遣いに
都人は心をうたれ、
救われたのだと解釈しているのです。」
 

その後、植物に関することを様々語られたのだが、
あまり遅くなってもいけないし、
お礼の言葉と挨拶をかわし、帰路についた。
 

時は流れ、私も齢五十を過ぎ、
すこし庭の手入れでもしようかと思い立ち、
妻にどのよう花が好きかと聞いてみた。
妻は「紫ツユクサ」や「ミヤコワスレ」
のような花が好みだと答えた。
紫ツユクサは庭にいつの間にやら自生しているが、
都忘れは戴いた一種類しか無い。
そこで「都忘れ」をネット検索すると、
実に多くの園芸品種があることが解った。
 
「よし、この庭を都忘れのミニ園にしてやろう。」
 
と思い立ち、様々な場所に出向き、
園芸品種を買い求めた。
戴いた品種は、「薄紫色」の原生種に
近いものなので、強健で手間いらずに
育ったものである。
ところが、園芸品種に改良したものは、
手間ひまかけて育てなければ
ならなかったのであろう。
最初の一年間は見事に
咲き揃ったものだが、
年とともに減少し、いつのまにか
消滅してしまった。
これは花を育てる私の心構えが
足りなかったせいであるが、
その当時は、なぜ消滅したかわからず、
妻に聞いてみた。
 

「わしの植えた都忘れは全滅したのじゃが、
おじいちゃんの花だけは
元気なのはなぜじゃろうか?」
 

妻は答えた。
 

「それはね、その花には
【おじいちゃんの魂】が宿っているのよ。」
 
 
 
2016年1月19日  秋月かく
 
 
画像は白い都忘れ


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