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毛呂山の良寛様追悼集

「下校する小学生に笑みかける見守り隊の八十翁は」

文芸もろやま第39号(2013年)、短歌部門の
入選作なのですが、
じつは、このかたの光景を歌に詠んだものです。
小学生がまつわりつき、笑いあっている姿。
この歌は、毛呂山短歌会も文芸もろやまの審査員も
他地区とは認識できなかったようで、
私の自治会のこども見守り隊と
誤認していたようです。
その後、お逢いしたときに
お歳をうかがったのですが、79歳との
ことでした。
79歳では、字数があわないので
この際、細かいことは言いっ子なしですね。
 
蛇足になりますが、表彰式の場で
審査員は翁を(おう)と詠みました。
(おう)は同格で、「同輩」を示します。
私は、先輩に敬意を表して
(おきな)とルビをふったのですが
文集にはルビがありません。
審査員は同輩と勘違いしたのですが
私の名前が呼ばれ、審査員と目が合った
瞬間、彼女の目に一瞬とまどいの表情
がみられました。
あまりにも私が若かったので
文字の読み間違いに気づいたのですね。
しかし、そこは百戦錬磨の審査員
何事もなかったかのように
寸評をのべ、表彰状を手渡しました。
 
 
 
2013年3月3日の「歴史民俗資料館まつり」で
神輿が披露されました。
まだお元気な頃のお姿です。



団地の夏祭りでは、子供たちと一緒に
楽しく交流されていました。
 
毛呂山町で著名な作曲家であり
コーラス一輪草の指揮者である
「秋馬敏夫先生」ですが、
「毛呂山音頭」「光山小学校校歌」
「泉野小学校校歌」
の作曲家として有名です。
 
こちらが「毛呂山音頭」です。



良寛様もTOMORROW体操を作曲されています。
ゆずっこ元気体操などでよく使われますね。
お話をうかがったところ、作曲を依頼されたときに
「毛呂山音頭」を1小節いれるとのことでした。
当時これを知るのは、私達だけのようでした。
妻と私がその方とお逢いした時に
お話されたのですが、
 
「私はね、毛呂山町の良寛さんになりたいのですよ。」
 
妻と私は、帰宅して話りあったのですが
 
私:「あのかたはすでに良寛様になっているよね」
 
妻:「あのかたのことを真の人格者というんだよね」
 
その後、風のたよりに、すでに「癌」に
侵されていたという風評がつたわったのですが
福祉会館でコーラスを指揮する後姿は
しゃんとしていました。
それがそのかたを見かけた最後の
舞台姿だったと思います。
 
その翌年は、舞台に立つこともなく
ある日突然、亡くなられたということを
耳にしました。
 
散歩中、乗用車に乗った夫婦に
「ふるさと会館はどの道をいけばよいですか?」
と聞かれたので、
「ここからでは道順が難しいので
私が同乗して案内します。」
と答え、ふるさと会館まで道案内
したのですが、その日はそこで
葬儀がとりおこなわれていました。
乗用車の御夫婦は、その葬儀に
駆け付けたということが、
その場でわかりました。
ふと、案内の幕をみると、良寛様の
葬儀の場だったのですね。
何という運命のひきあわせなのでしょうか。


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