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マイライフ:第7章:「冬の慰安旅行」

冬のボーナスは12か月支給されました。
夏冬合わせて20か月という
今から考えると恐るべき数字です

当時は銀行振り込みもなく
茶封筒にいれて支給されました。
部長は、「わしの封筒は横に立つぞ」といって
自慢したものです。
持ち歩くと危ないので、昼休みに近くの
郵便局に行き振り込みました。
 

ボーナスの支給が終えると
次に待っていたのは「慰安旅行」です。
行先は熱海で、バスを2台チャーターして
熱海で一泊という豪華版。
参加費や宴会費用・芸者代まで
会社もちということにも
驚きました。

行きは、熱海までの風光明媚な場所に
立ち寄り、旅館到着は4時頃。
皆で温泉に入り汗を流し
浴衣姿に着替え、あとは宴会に備える
だけです。

各席に豪華な膳が用意され
大きな刺し身盛りが数か所に配置。
宴も盛り上がってきたところに
芸者衆が4~5人登場し、太鼓をたたき
三味線を引きながら歌を奏でます。
そんな芸者衆の芸は皆うわのそらで
仲間とおしゃべりばかりしていました。
数名は芸者衆との「その後のお楽しみ」
を待ち構えていたのですね。
勿論私は初体験なので
そのような知識は皆無でした。 

私は芸者の舞台は初体験だったので
ただただ、芸者衆の芸に必死で
見物していました。
お猪口は面倒くさいので
グラスの酒をかたむけていました。

芸もひと段落して、芸者のリーダー格が
私に近寄って言いました。
「あんた、私たちの芸を最後まで見てくれてうれしいわ
よかったらちょっと飲みに行かない」との
お誘いがあったのですが、何しろ私は
旅先で財布をなくしてはいけないとおもい
2千円程度しか持ち合わせがありませんでした。
丁寧に辞退すると
「残念だわね、でも本当に今夜は有難う」
と礼をいわれ、その後はどこに消えたやら。
 
とにかく今の人がこれを見たら
頭にくるような、「超高度成長期」でした。
 
 
添付画像は中野の公園


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