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ふと昔、吹いた曲を思い出しながら吹いたら昔の思考に気が付いた話

こんにちは、 ウチダユメミ(@yumemi_uchida)です。
山梨に移住して7ヶ月目。
ぶどう農家しながら、音楽活動しつつ、
毎日noteを更新してます。

山梨の最低気温が一桁を回ったこの頃は、秋の肥料撒きです。
今日は午前中、堆肥を畑へ運んだところで冷たい雨。
午後はリードの調整や自分の練習を。

リードの調整をしながら、
ふと高校生から浪人中まで何度となく吹いた
ハイドンのコンチェルトを思い出した。

ドーレドシド 
ミーレドシド 
ソーラソ#ファソ 
シーラソ#ファソ ドーーーー

っていう、
ハイドンが作曲してないって言われてるハイドンのコンチェルト。

その昔、どこもかしこも音大受験はハイドンのコンチェルトでした。
テクニカル的に難しい部分もあるけど、
なんだか全部、裸にされるような曲。
その曲を先ほど、リードの調整をしてる時に、
ふと思い出して、吹いてみた。

そしたら、出てくる、思い出してくる、昔の思考。
それもネガティブなものを思い出しました。

「受験の時なんて、最初の方しか聴いてもらえないんだから、
 最初の方だけちゃんと吹ければ良くない?」って
思いながら練習してたなぁ、と。

なんと消極的な思考。。。。。

入試で審査される先生たちはそこだけを聴いてるわけじゃないし、
曲を自分の「もの」にしようという積極性がないし、
課題と言えど、音楽との向き合い方が消極的だし、
曲に対して興味を持って勉強してなかったなぁ、と思い出しました。

「絶対に合格したい!」というのとこういう曲に対する消極性、
すごく拮抗してる。

受験というものは通過点なんだけど、
そこにフォーカスし過ぎた思考だったな、と。

ハイドンで受験に挑むことで得られるものを
その先で生かすことは、
その当時の私は本当に理解してなかったんだな。
課題の先にあるもの、見えてなかったなぁ。

それと同時に思い出した思考がもう一つ。

「これ、思った通りに吹けるようになるのかなぁ」

これは、自分を信じてないし、自分のことなのに他人事だし。
吹けるようになりたいと思ってるとは思えない思考だったな。

それまでの勉強の仕方(普通の学校の勉強)の時の思考もこんな感じだったな。

全てが自分の軸で
物事に向き合っていたら
たとえ不合格でも楽しかったんじゃないか、
得るものはたくさんあったんじゃないか、

なんて、思いながらリードを削ったのだった。


自分の軸で選択することに関してこんなnoteも書いてます♪





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