最初の記事を書いてから2年近く経ちました。

境界知能と診断されて「こんなもんじゃない」「もっとひどいはず」と納得がいきませんでした。

境界知能の診断だけではまず障害年金がいただけないし具体的に言葉にはできなかったのですが日常での困りごとが沢山あったからです。

市内の障害を診断だしてくださるとこへ診察に行く。

メンタルクリニックの先生ともコミュニケーションがうまくとれず困っていましたが先生が提案してくださったのは市の障害を診断してくださるとこへ診察に行くということでした。
丁度コロナの影響もあり、11月に予約をしたのですが最短の予約は3月でした。

3月。

障害者の診断していただくところに行くとビネー式というもので私を苦しめてきた知能検査が。
これがある会社は全部面接を受けさせていただくことができませんでした。

そこで自分自身が「境界知能、そんなもんじゃない」と思っていたことが明らかになりました。

精神遅滞


境界知能と言われたときも衝撃でしたが境界知能よりも更に下があるとはおもいませんでしたし、精神遅滞と言われて逆にほっとしました。
これで障害年金も受給できる病名?とのこと。
とりあえず境界知能よりはよくないのに障害年金は難しいと言われていたのでこれで一安心w
この診断を受けた帰りの足で療育手帳というものを発行していただきました。
今まで負担に感じていた地元の交通機関が半額、映画館も半額、新幹線もわずかながら割引があり療育手帳は持っていて日常生活ではメリットしかないですね。

ただ残念なのは。

生まれついての障害なので養護学級などで生活をしていたらもっと自分らしく生活できたのではないかということです。
ですが、母親も多分境界知能や精神遅滞、兄弟も連絡はとってはいませんが何かしらの障害があると考えられます。
そんな家族の中で生活していてはバカにすることはできても障害に気づいてあげられる環境ではないということです。

私はそんな中でもコミュニケーションを学ぼうと努力した。

母親が結婚式にでるのが面倒ということで結婚がなかったことになり、そこから自分が得意な文章を学べばなんとかなるのではと思うようになりました。
実際境界知能の私には学びの場に参加することは難しくどれも中途半端でした。
そして素晴らしい資格を受講する方はさぞかし人格者が多いのだろうと思いましたがそうではない人も多々いるということです。
いろいろな学びの場に参加してとりあえず今まであったことのない人とあうようにしようと思ったのです。

運命の糸は自ら切ってもいい。

よく「これが御縁だから」という言葉を耳にします。
私はずっと一度出会ったからにはと思っていましたが精神遅滞のおかげで自分が大切にしたいと思う人は「一緒にいてラクな人」でした。
私が考えていたラクな人とは「一緒に悪口を言ってくれる人」が多分ラクな人で本当に大切にしなければいけない人は多分離れていったと思います。

もし早めにそれに気がついていたら私の人生はどう変わっていたのでしょうか、とても興味深いです。

収益はどうでもええわ笑

二年経って思ったこと。

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