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悪夢(とても長い)

先日のラジオ配信で「夢子さんの見る悪夢の話が聞きたい」と言われた。悪夢の話をさせるなんて、酷い人もいたものだ。私の見る悪夢は、過去の出来事を反芻し私を苦しめる。かれこれ9年間もだ。私が生きてきた中で1番苦しかった出来事を生々しく再現する。未だ克服に至ることが出来ていない。ラジオの場で説明を始めると調子を崩すと思ったので、noteに書き綴ることにした。

書きながら呼吸が苦しくなるものだから、何度も途中で挫折した。まとまりの無い、ダラダラと長い文章になってしまったが、ちょっとこれ以上向き合うのは無理そうなので、このまま放流する。


悪夢の話をするにあたり、背景を説明しなくてはならない。それがめんどくさい。

9年前、私の母が死んだ。ザックリ言うと急性心不全、詳しく言うと大動脈解離という病気だ。夜7時頃にスポーツジムで突然胸を押さえて倒れ、救急車で運ばれた。
母は、家族の誰とも同居せず一人暮らしをしていた。母のもとにすぐ駆けつけられる家族親族は、誰もいなかった。
というのも、その当時、両親は離婚協議真っ只中だった。財産分与で揉めていた。4人兄弟の上3人は父の連れ子で、末っ子の私だけが母の実の子だった。
私が同居を拒んだため、母は離れた土地での一人暮らしを選択した。

真っ先に駆けつけたのは私と姉夫婦だった。確か夜9時前後だったような気がする。

お医者さんに詳しく説明を受けた。馬鹿で無能な私は、はじめ意味が分からなかった。少し体調が悪いだけで、1〜2週間くらい入院すれば退院できるものだと思い込んでいた。しかし医療現場で働く姉夫婦の顔は青ざめていた。姉は私に繰り返し言って聞かせた。

「夢ちゃん、お母さん、ダメかも知れない、夢ちゃん、お母さんはもうダメかも知れない」

「ダメ」の意味が少しずつ理解できてきた。嘘でしょ?今まで存在して当たり前だった親が、まさか、いなくなる?
実感はまるでわかなかった。「具合悪いから寝る」と不機嫌そうに布団に潜っていた母の姿しか、想像できなかった。

夜11時あたりで、祖父・叔父夫婦が到着した。医者夫婦の2人は、電話で病名を伝えただけで理解したようだった。いつもの優しい笑顔は無かった。

0時を回った頃、1番最後に父が到着した。
微かに怒りの感情が湧いた。今まで何やってたんだよ、って。お母さんがこんな時に、何悠長な事やってんだよ、って。父だって医者として自分の病院を守らなければならない立場だったはずだ。ただ、それを理解できるほど大人ではなかったし、そんな余裕はこれっぽっちも無かった。

看護師さんから衣類などの引き取りをお願いされ、大きなビニール袋に母の洋服など入れられて渡されたり、言われるがまま姉と事務処理をしたような気がする。手が震えて、うまく受け取れなかった記憶がある。

父が揃ってからかなり待った気がする。主治医の先生が現れた。心臓の図を描いて説明してくれた様な気がするが、詳しい説明は分からなかった。要するに心臓近くの太い血管がダメになっちゃったらしい。
ここで、主治医からこんなことを言われた。

「このまま治療を続行することも出来ますが、助かる見込みは低く、浮腫により全身がパンパンに腫れあがってしまいます。治療を断念することも出来ます。」

家族は一斉に私を見た。
「夢ちゃん、どうする?」

私が決めるの?
母が今死ぬか、数時間後に死ぬか、生き延びるか、私が決めるの?

母の横たわる寝台に向かった。母は、顔色は悪かったが、ただ寝ているように見えた。姉から「お母さんの手を握ってあげて」と促された。母の手を握るのは嫌だった。お別れの儀式みたいに感じた。でも、これがきっと最後だから、もう母に触れられるラストチャンスだから、そう思って母の手を握った。


とても長かったが、ここからが本題。
ここから先が私の悪夢に見るシーンだ。


母の手は冷蔵庫で冷やしたみたいに芯から冷たかった。力の入らない凍った指から、母が人間からただの肉の塊に変わっているのが感じ取れた。

「ああ。お母さん本当に死んでしまうんだ。」
そう実感した。途端に母に触れている右手の感覚がなくなり肩から力が抜けた。足先がビリビリと痺れ、視界が歪み平衡感覚がなくなった。

何を考えていたか詳しく覚えていない。ただ、心の中で何度も母に謝った。馬鹿で無能な私が生きている理由が分からなくなった。置いていかないで欲しかった。当時の私にとって、母は唯一の家族だった。1人にしないで欲しかった。ただただ謝った。

卒倒していた。
看護師さんに車椅子をすすめられたが断った。この場で母以外が具合悪いと訴えるなんて、申し訳がなかった。フラフラと歩いて、治療室を出た。

治療の続行は断ることにした。母は美人だった。ルックスにはいつも気を付けていた。だからこそ、見た目が悪くなる治療続行を母は嫌うような気がした。
「こんな顔、友達に合わせらんないじゃん!」って言うかな、と思った。

母の気持ちを自分勝手に推測して生きる機会を奪った。母のことを考えたんじゃない、遺体に面影が残らないのが怖かった私の自己満足だ。私ははじめから母が助かる可能性なんて信じてなかった。あなたの唯一の娘は親不孝者でした。ごめんなさい。

祖父や叔父の顔が見られなかった。2人は何も言わなかった。視線が怖かった。私が決めて良かったのか。ごめんなさい。ごめんなさい。あなたたちの大切な人を簡単に奪う選択をしてしまってごめんなさい。

葬式の最中、母の骨をどうするか、そういう話になった。母の遺書には「両親と同じ墓に骨を入れて欲しい」と書いてあった。父と同じ墓に入りたくなかったようだ。
父は、分骨を提案した。実家の墓に半分、ウチの墓に半分に分けたかったようだ。愛のない結婚生活だと思っていたのに、父が葬式で泣き崩れるものだから、父の悲しむ顔を見たくなくて断れなかった。母の遺志を無視してしまった。ごめんなさい。

母の携帯電話の履歴を見たら、友人に話すのは私のことばかり。最後の送信履歴は「夢ちゃんが成人したら着せてあげたい振袖があるの」だった。あなたの愛に気付かず、たくさん無下にしてしまってごめんなさい。

倒れる2日前、「どうしても今日会いたい」と送ってきたメールを無視してごめんなさい。わざわざ遠出して私の大学の近くまで来てたのに、どうして面倒くさがって会わなかったんだろう?何を話したかったんだろう?本当に私は馬鹿で無能でした。許して。許して。生きててごめんなさい。


母の手を握る瞬間を今でも夢に見る。
混乱した感情が再生される。
あの時感じた強烈な自己嫌悪と自殺願望が何度も何度も上書きされる。


理性的に考えれば、当時の私の選択はある種の正解だったと分かる。誰も私のことを責めたりなんてしなかった。責める理由もない。だから、普段は過去に引っ張られず明るく前向きな私でいられている。でもあの悪夢は理性も理屈も全て無視して私の心を抉り取る。
悪夢をどうにかするお薬とかないんですかね。
そろそろ、解放してほしいんですけど。

水鉄砲で遊ぶ夢とか見たいな。
枕の下に水鉄砲置いて寝たら見られるかな。

共感してくださったなら。