日常のささやかな楽しみと充足とは全く関係がねぇ!!
これまでお金、ステータス、容姿、モテ(結婚してるのに未だにモテたいと思ってる 恥)、色んな願望を追い求めてきました。
そして潜在意識や引き寄せを知ったり、自分の幸せを見つけて毎日が輝きだしました☆的なブログを読んだり、
そういったあれやこれやで、昔よりは人生が大分マシにはなってきたと思うんですが、
最後の最後に残った「間違い」というのがあったように思います。
うーん、それは、何つーんだろ。
ラーメン食べた幸せは、願望実現した時の充足と同じ
的な、チケット板の名言があるんですが、
さらにその先があって、
「ラーメンを食べて充足を得ようとする」ことすら、必要ない、みたいな。
こっそりさんが言われてることの真似っぽくなっちゃうんですが。
なんか・・・
大金を手に入れたり、モテてちやほやされたりを追い求める必要はない。
でも、日常のささやかな喜びに目を向けたり、自分だけの楽しみを見つけたり、瞑想したりお散歩して気分転換したりすることは、誰にでもできますわよね?
それを積み重ねることが充足への道なのですよ?
それが出来ないというのはあーた、他人軸で自愛できてなくて自己肯定感が低いんじゃなくって?
(いや、誰ですか?)
と。
つまり、お金やモテ(←よっぽどモテたいらしい)を幸せと結びつける代わりに、
日常のささやかな喜びを探すことや、自分だけの楽しみを見つけることと、幸せを結び付けてました。
これって何かすげー正しいっぽいけど、やっぱり究極、幸せに条件を付けてるのと同じだったんだと思います。
さらに一見もっともで、ハードルも低そうに見えるので、「それが出来ないのは自分が〇〇だからだ~!」となり、「自分だけの楽しみを見つけられる自分(ややこい)」になるために工夫という名の無意識の努力が始まり・・・
と、エゴが無限に遊べるシステムの中にいたのかな、と思いました。
私は、いくら探しても「ワクワク夢中になれて、ささいな悩みなんかどうでもよくなるようなもの」には出会えなかったし、
好きなカフェに行っても、隣の人の会話がうるさくて満足感を得られなかったり、
ワクワクしながら開いた漫画がとんでもなくイヤな感じの内容だったり。
それでも「いい気分」を得られたケースもあるし、3次元の世界では嫌なこともあるのが当然なんだから、この活動を続けていけばいいんだ。
さあ、次の小さな楽しみを探そう!
と。
ほんっとに、延々そんなことをやってた。
でも、違ったんだ!
ほんとはラーメンすら必要なく。
コーヒーでほっとするひと時も必要なく。
人との温かい会話も必要なく。
充足。
これだけで良かったんだと思います。
・・・えー?
そんなことなの?
じゃあ「自分だけの喜び見つけろ」系の引き寄せや潜在意識系の人のせいで、めっちゃ遠回りしてもうたやーん!
と言いたくなりましたが、
それも「何かやるべきことが欲しいエゴエゴさん」が私にその現実を見せていたんだと思います。
も~、エゴエゴさんめっ!
と、エゴをキャラクター化してかわいい印象に変換したところで、今日はもう寝ます!
おやすみなさい^^