批判というのを辞書でひいてみやう

私は批判されるのが大好きらしい。



たぶん、褒められるよりも批判される方がよほど嬉しい、ような気がする 。


先日家のものに、仕事に関するあるアイディアのラフスケッチをみせたさい、一つ一つは面白いと思うが全体として統一感がない。鑑賞し続けしづらい。


という旨の批判をされてとても心に響いた。


そしてそれがいかに的確な批判だったかが今しみじみと胸に染みいっている、というのも今キッチン戦隊クックルンを見ていて私もこの番組について全く同じことを思ったからだ 。


キッチン戦隊クックルンで伝えたいことはポピュラーサイエンスとしての料理であり、あの番組で伝えたいことは料理の面白さであり、


それを子どもに伝えるためには戦隊物という子どもにとって身近で魅力的な 表層を駆使して伝えることが大事なのだろう。そして天才発明家レオンは戦隊もので指示を出す司令塔的な役割として出てきているんだろうが

(そしてもちろんジェンダーバイアスの醸造、或いは増長、いや、築造と言ってもいい、個人的には築造と言いたい、とにかくそれらを防ぐためにああいうジェンダレスというか中性的な理系男性が天才発明家レオンとして居るのだろう、

そしてこの文章の主題からは脱線するがシンプルにイケメンなので親御さんにとってありがたいのだろう)、


いかんせん天才発明家と戦隊ヒーローものというのはなかなかに親和性がなく、
時代設定もバラバラで、冷静に鑑賞しているとどうにもちぐはぐな感を受ける。


と言いつつもあの番組の目標は、繰り返しになるがポピュラーサイエンスとしての料理の面白さ、また、子供でもできる料理レシピの紹介なのであるから、その番組としての目的は十二分に達成できているのだと思う。

しかも面白いし非常~にためになるのでたいてい毎日みている。黄色の子が利発そうで良いなあと思う。昔はお姉さんといえば舞ちゃんで、皆どこかで舞ちゃんらしさを懐かしんでいるのかもしれない。こういうのを最近流行りの言葉?でノスタルジアというらしい←これは個人的な考えだが…。


というわけで、脱線したが、やはり統一感というのは表現において大切なのだなあとしみじみと思う。


なんとなく街歩きをしていても、ショーウインドウ・住宅のエクステリアにとっても、統一感があるということは、整然と並んでいるということと同じくらい人の心に潤いを与えるものであると感じる。


いやはや、しかしやはりこの文章自体もつくづく統一感がない。


作ろうよ!たたかうよ!

てなわけで、二の巻に、あるべし。

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