子供をもうけたくないということは子供を幸せにしたいと思うことの裏返しだと気がついた話。

★内容を真剣に読み込んでしまうと病んでいる人のようになってしまいますが、消して病んでません。★

私が子供を授かるのが怖い理由。

自分自身が子供時代非常にナイーブて自己肯定感の小さな人間でした。

私は頭の良い兄、運動の出来る愛嬌のある妹に挟まれた真ん中っ子です。
純粋に彼らを凄い、と思えるだけなら良かった。でも私は負けず嫌いだからどうしても挑戦してしまう。そうなると毎回毎回勝つことはできないわけで。
今考えてると、むしろよく挑戦してたなと思う限りです。笑

わたしの兄、10歳の頃に「我が家の子供憲法を作ろう!」と言い始め、ノート書き出したのが日本国憲法にインスピレーションを受けた憲法に引けを取らない堅苦しーーい前文でした笑
わたしの妹、私と同じ競技をずっとやっていましたが、地元の強豪校から授業料免除の推薦が来るほどの実力でした
そんな二人に平々凡々な私が叶うわけもなく、、、。

変に対抗意識を持ってしまわずに、自分の得意な所を認めてあげればよかったのにね。

そんなこんなで自分の良いところがわからないから人の顔色を伺う子供でした。
その為大人からはいい子とレッテルを張られ、友達にも合わせと努力を重ねました。
しかし一人だけどうしても合わない人がいたの。
母親です。

幼少期から可愛がられ、愛されていることは分かっていましたが、母からしてみると顔色を伺い、びくびくしているように見えた私にイライラしたのだと思います。
末っ子の妹がしてもキャラ的に当たり前なことを私がすると烈火のごとく怒鳴ることも日常茶飯事でした。
自分は完璧じゃなきゃいけないんだと自分を追い込んでいました。

(こんなこと書くと関係が悪いみたいですが、関係自体は至って良好。愛し合っています。ただ大人になってお互いに気がついたことは、性格が合わない、それだけなんだと。お互い大切には思っているので仲はいいです。)

そんなこんなで物心ついたころには毎日怒られることに怯え、精神的なものからか毎日体調も悪く頭が痛くない日が珍しいほどでした。
死んだら家族が悲しむから生きているだけで、積極的に生きたいとは思わない、死にたいわけではないけれど、という今では贅沢すぎる考えをして、暗ーい小説を読んではより病むという幼少期。気がついたら痩せなきゃと思い続けてしまって自律神経を乱し拒食症になりかけた中学時代。

その頃のことを思い出すと正直辛くて。
自分が子供を育てるのであれば世界で一番幸せな子供にしたい。
でも自分の子供だったらこんな風にネガティブな子供になっちゃうかな、自分がこどもをポジティブに励ますことなんて出来るかなと不安で不安で。
私は子供を幸せに出来る自信がないのです。

そこに気がついてしまったら、結婚出産がリアルになってきた22歳くらいから最近まで子供を持つということが人生の中のプライオリティから抜け落ちました。
幸いにも恋愛対象は男性、女性どちらでも良かったので、女性と一緒にいることで、世間の結婚して子供はまだなのか?というプレッシャーからも、本当は子供が欲しいのか欲しくないのかという選択から逃げていたんだよね。

でも今一度この選択を考えるべき時に来たのかな。
これから新たなパートナーを見つけるにしても、今のパートナーを待つにしても。
私の子供を持つのは怖いは子供を幸せにしたいの裏返し。
どうしたら子供を幸せにできるか、その方策を具体的にした上で考えたら今までと結果は変わるのだろうか。
なんて子供なんて神様からの授かりもので、気軽に欲しい欲しくないなんて言ってはいけないものだけどね。