NGOで4年間活動した自分が、アフリカスタートアップで働くことを決めたワケ。

いつかちゃんと整理して書こうと思っていたトピック。
読んでほしい人はたくさんいるけど、一番は自分のために書きます。

タイトルの通り、自分は大学1年から休学期間を含む4年間、ずっとNPO・NGOの活動に関わってきました。日本では「あしなが育英会」、海外では「Ashinaga」と呼ばれる団体です。(隠しても話の流れで分かってしまうので、オープンにいきます)
そして今、アフリカ・ケニアのスタートアップHAKKI AFRICAでインターンをしています。大学卒業後も、ここで働く予定です。
自分の大学生活をよく知る人は、口を揃えて「意外だ」と言います。ずっと非営利で働くと思ってた、アフリカにいくならNGOだと思ってた、etc...
なぜ、と聞いてくれた人には、自分なりに説明をしてきたつもりですが、なんせ決断に至るまでの布石が多かったり、うまく言葉にならない感覚に突き動かされてるところがあったりして、思ってることの50%も伝わってないんじゃないかという気がしています。
この長い話を全部読んでくれた暁には、70%くらいは伝わっていますように。

時系列に沿って進んでいくのが一番シンプルかと思うので、だいぶ時計を巻き戻して、2007年、9歳からスタートしようと思います。
この前年の10月に末期の大腸がんを宣告されていた自分の父は、この年の3月に亡くなりました。幼かったこと、ショックが大きかったこともあって、前後1年くらいの記憶がおぼろげです。
それまでは、なんの変哲もない『普通の』家族だったと思います。これ以降は、いろいろな意味でその『普通』がいかにありがたかったかを実感するようになっていきました。

小学校・中学校・高校と山あり谷ありでかなり波乱万象でしたが、大学1年まで飛びます。
どうしても学部に強いこだわりがあって、私大1本で受験、無事合格しました。それより少し前、受験のために資料を取り寄せて、志望校を絞り込んで…とクラスメイトたちが忙しくしている間(高2頃)、実は自分は就職する気満々でいました。いやいや年間100万も払えないって、なんてったって我が家は母子家庭ですからね、と思っていたし、周りにもそう言っていました。
ハッキリした時期は忘れましたが、クラスメイトたちの受験準備から大幅に遅れをとること約半年、大学に行けるじゃん、ということが発覚します。よくよく母の話を聞いてみたら、「あしなが育英会」なるところの奨学金を借りていて、大学生はその額が少し多くなるから、バイトもちゃんとすれば学費を捻出できるらしい。高校生のときから「あしなが」奨学金を借りていることは知っていました。ただ、額や制度の詳細までは知らず、まさか大学に通えてしまうほどの支援があるとは思ってもなかったです。
というわけで大学に通い始めました。

大学生活にも慣れてきた9月、奨学金を貸してくれている「あしなが」から、募金の説明会をするからと呼び出しの手紙が届きます。当時大学の部活に属していたので、その練習を休んでまで行くのが正直めちゃくちゃ嫌でしたが、母のゴリ押しもあり、その説明会に参加しました。
馴染みのない方のために、ざっくりとした説明をすると、あしなが育英会が奨学金を提供する対象は、病気・災害・自死などによって親を亡くしたり、親が重度障がいを抱えていて収入がない/低い家庭の高校生・大学生。その奨学生を中心として組織されているのが、学生団体「あしなが学生募金事務局」で、自分が呼び出されたのは、秋の募金を控えた学生募金事務局の説明会でした。

説明会、地区分け、さらに詳細な説明・指導を経て、募金当日を迎えます。初めて募金に立ったのは、品川駅のどでかいコンコース。Unicefや赤い羽根募金みたいなほっこりした募金活動をイメージしていたら、おそらく180度違っています、熱量が。ほとんどが遺児の当事者ゆえ、あしなが学生募金の特徴は「自分史」です。各エリアで最も人通りの多い場所で、自分の一番パーソナルな部分を、(マイクもないので)声が枯れるまで、語り(叫び?)ます。
不思議と、初回からあまり抵抗はありませんでした。
社交辞令じゃなく、自分が進学できたことは本当にありがたいと思っていたし、同じような家庭環境の子が、経済的な負担さえ取り除けば進学できるなら、自分の活動にものすごく意義があると思っていたからです(今も、その気持ちは変わりません)。
実はその年、あしなが学生募金は従来の日本遺児の支援に加えて、アフリカ遺児の支援を始めていました。自分の先輩たちが決めた支援拡大なので、特にそこに自分の意思はなかったのですが、街頭で「なんでアフリカ支援?」と言われても答えられるように、とアフリカのことを勉強し始めます。これが、自分とアフリカの出会いです。

学年が上がるにつれて、学生募金団体でいわゆる役職を持つようになります。渋谷品川エリアのリーダーから、1都5県のサブリーダー、広報部のリーダーなどなど。そして大学3年の6月、リーダーたちが参加する研修の一環で、英語圏アフリカのあしながオフィスがあるウガンダへ行く機会がやってきます。

やっとアフリカ編に突入するところですが、既に2000字を超えてしまったので、続きは第二弾です。

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