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リパッティの祈りを

リパッティという、もう生誕100年になるピアニストがいる。33歳の若さで白血病で亡くなってしまったピアニストだ。ここ2~3日、ひたすらこのリパッティのピアノをCDで聴いていた。

プレゼンツの楽曲と、リパッティのピアノは、全く別物ではあるのだけど、私にとっては、なんと言ったらいいか・・・?・・・どちらも聴いていて胸がやたらと熱くなったり、すーっと雑念が洗い流されたりする感覚があって、何度も何度も聴いてしまう・・・というところがおんなじだ。

子どもの頃、家にリパッティのレコードが何枚かあった。

そのジャケットに、たしかこんな感じのエピソードが載っていた。

予定されていた最後のリサイタルの日、リパッティの病状はかなり悪く、付き添った医師や家族は、リサイタルを断念するように何度も説得した。でもリパッティはどうしてもきかなかった。時に意識を失ってしまうほどの病状で、何本も注射を打って、最後の演奏に臨んだ。

「楽屋に向かう階段をひと足ひと足登っていくリパッティの姿は、十字架を背負ったキリストがゴルゴダの坂を登っていく姿と重なった」という家族の手記もどこかで読んだ。死期が近づいていることは本人もスタッフもお客さんたちも、みんなわかっていての演奏会だった。

その日のプログラムは、ショパンのワルツ全14曲を弾いて終える予定だった。しかし、13曲まで弾き終えた彼には、もう最後の1曲を弾く力は残っていなかった。しばらくの沈黙のあと、再びリパッティの指は鍵盤に触れた。そして弾き始めた曲は、彼がずっと愛して止まなかった、バッハのコラール、「主よ人の望みの喜びよ」だった。

私は10代の頃、このエピソードを読みながら何度も何度もリパッティの弾く「主よ人の望みの喜びよ」を聴いていた。この曲が大好きだった。

何十年も経ってわりと最近、ふとしたことからこの最後のブザンソンでのライブの様子が、アナウンスや拍手入りでリアルに録音されたCDがあることを知って手に入れた。

でも、そこには最後に弾いたと言われる、「主よ人の望みの喜びよ」は入っていなかった。いろいろ探したり調べたりしたけど、どうやらショパンのワルツ13曲を弾き終えた時点で、録音は切られていたらしいので、最後の演奏は残ってはいないようだ。私が子どもの頃、それが最後の演奏だと思って聴いていたのは、別の録音のものだったということみたいだ。

リパッティが最後の最後に演奏した「主よ人の望みの喜びよ」はどんな響きを放ったのだろう?私はそれが恋しくてたまらない。聴いてみたかった。

そんなことを思いながら、本当に久しぶりにピアノと向き合った。リパッティの祈りを感じたくて、私も言葉ではなくて、ピアノで祈りを捧げてみたくて「主よ人の望みの喜びよ」を何度も何度も弾いてみた。

私にとってピアノは、歌やギターほど楽しいものではない。ピアノに向かった瞬間、「ミスしないようにしなきゃ!ちゃんと弾かなきゃ!」という緊張がはしる。子どもの頃習っていたピアノの先生がものすごいスパルタだったことや、合唱などの伴奏でコンクールなどの大きなステージに立つことが多かったせいかもしれない。

でも、今回何度も何度も弾いているうちに、ちょっと祈りに入れたような気がした。

ミスだらけの拙い演奏ではあるけれど、録音してみたので、私の祈りを聴いてください。


主よ人の望みの喜びよ




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