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ゴテゴテ

最近文章を書くことが多いのだけど、「うまくかけた!」と思うことがほとんどない。

私は伝えたいことが沢山ある。

日常の中での気づきだったり、感動、良いと思ったものや、逆に嫌だと思ったもの。社会で起きている不条理なことや、逆に希望を持てると思うもの。

そういうものを言葉におとして、知ってもらいたいと思ってしまう。


「知らない」ことで、はじきだされることって沢山ある

流行りの曲やドラマを知っていれば、大衆と打ち解くことができるけど、知らなければ、「変なやつ」扱いになってしまう。

朝のニュースも、見ていれば、景気の状態もなんとなく理解できて、なんで今日はピーマンが安いとか、トイレットペーパーは高いとか、社会のちょっとした変化についていくことができる。

もっと大きな例でいうと、シングルペアレントの家庭。

支援してくれるNGOの存在や行政の取り組みが把握できていれば、生活に余裕が生まれるし、セーフティネットを得ることができる。

でもそうした支援団体や取り組みがあることを知らなかったら、その人たちは、頼る場所を見つけることができずに、抱えてる悩みや問題も家族の中で消化させるしかない。


流行りのものやニュースに関してはどうぞ自分でググってくれればいいと思うけど、情報に辿り着けなくて、悩む必要がないことで頭を抱えている人たちを、私の言葉でそっと社会の「輪」の中に入れてあげたいと思う。


文章を書く上で、伝える上で、「わかりやすさ」は大切だ。多くの人を「輪」の中にいれれたいならなおさら。

でも今の私は、「わかりやすさ」よりも「かっこよさ」ばっかり気にしてしまう。


「感動させたい」

「良いと思ってもらいたい」

「共感してもらいたい」


そんなことばかり考えているから、気がつくと難しい言葉ばかり使った、わかりにくいゴテゴテした文章が出来上がっている。

誰かのために書いた文章がいつの間にか

自分を凄いと思ってもらうための文章になってしまっている。


自分のための言葉は伝わらないし、届かない。


書くこと、言葉にすることは「自己対話」だ。

文を綴っていると、自分の性分や考えていることが明らかになって、はっとなる瞬間が沢山ある。


誰かのために書いた言葉が、自分の「今」を知るための最強の材料になっているという皮肉



ゴテゴテしてない「私」に気が付いたとき、

はじめて「うまくかけた!」と思えるのかもしれない。


シンプルな私になって、「伝わる」文章が書けるようになりますように。


Yasmine


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