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園長はジャンヌダルク?〜先生とお話ししていただいた気づき〜

新年度になり、異動で赴任した園長先生が、保護者会でご挨拶をされた姿とお声を聞いた時に、なぜだかジャンヌダルクのようなイメージを受けました
ジャンヌダルクに詳しくはないのですが、なぜかそういうイメージ、転じてキリストやイエスさまのイメージまで繋がります
その時は「そうだよなー、子供も守り園長にもなるくらいだからジャンヌダルクのような力強さがないと」とぼんやり思い、園長の保護者会での挨拶もいつの間にか終わっていました

しばらく経って、たまたまその園長とお話しする機会があり、長く立ち話をしてしまいました。保育園の先生として働いた新人1年目の頃に、0歳児を担当した話をしてくださいました。0歳児2名を初めて担当したお話しです。「わたしがトイレに行こうかなと思うと、2人とも泣く」というのです、そして「喋れなくても、わたしの思いが通じているみたいなのよね、そしてトイレから帰ってきて『ごめんねー』と思って2人を見ると、ニコッとするのよ?、今でもわすれられないわ!気持ちが通じているのね」とおっしゃいました。そして「こどもってかわいいなー」という思ったそうです。
保育園の先生になるくらいだから子供が好きが前提にあるのだとは思いますが、実際に働いて担当してみて芽生えた「こどもってかわいいなー」という感情はその後の"ほいくえんのせんせい"として働く彼女の大きな力や勇気になったんだろうなぁというのがとても伝わってくるお話でした

わたしは出産後、仕事の都合により、子どもを生後4か月で保育園に預けることにしました
正直わたしは、初めての子供でもあるし、生後1年までは日々変わる子供の成長を目に焼き付けておきたかったのですが、いろいろな状況により「4か月から子どもを保育園に預ける」という選択を選びました
どんなに周りが、「ずっと預けているわけではなくて仕事が終わったら一緒に居れる訳だから悲しいことではない」と言ってくれても、子供の成長を思うように見られない心残りやどうしてその選択をしてしまったか、ということが、当時は後悔となってそこにありました。それくらい私にとっては大切で重要なことだったのにその道を選んでしまったということですよね

子供を4か月で預けた先の保育園には、0歳児クラスの子供たち9名を先生3人で面倒見てくださり、その中に今年就職したての新人1年生も含まれていました。アサミ先生という、色の白い、目が茶色に透き通った純粋な静かな雰囲気の小柄な先生でした。アサミ先生はベテラン先生と一緒にいて指導を受けておられたので、直接表立って保護者に声をかけたり、保護者の問い合わせは先輩先生が対応くださったので、話をしたりすることはほとんどなかったのですが、ある時は厳しいベテラン先生にとやかく言われながらも、忙しく静かに子供たちをお世話をする姿や、子どもを見る目線が優しくて印象的で思い出されます

園長の新人時代の0歳児の話を聞いて、なんとなくアサミ先生と、今年度異動で赴任してきた園長が重なって見えました
そしてもし、アサミ先生の保育園の先生としてのスタートに私の子供がお役に立てていたなら。。。そして将来この園長先生のように 子供だけでなく先生含む園全体の子供達を育む長になるための一助となっていたら。。。という想像が膨らみました
そう思えたら、私が子どもを預けたことは意味があることだったのかも…という気持ちになり、私の過去の選択の後悔も、一緒に子供と居れなかったことの心残りも全てが涙と共に流れていきました

園長先生は言いました、「本当は一人一人が知れる担任がやりたいの」
でもこの方はきっと担任ではおさまらず、この園長のもとで働く先生や園の子供達全員を愛で包むのだろうなぁと思いました
園長の担任がやりたい思いは形を変えて、子供たちと時間を見つけては午前外遊びのドッチボールに加わったり、事務室に子供たちを集めて空箱製作をしたりして関わっています
そういう関わりを子供から聞くだけでも、愛が溢れているなぁと感じています

溢れる愛は私の過去の心残りとわだかまりも溶かしていきました
田村園長には心から感謝しています、ありがとうございます
先生にたくさんのご加護があることを願っています
このことに気つかせてくれた天の采配にも、ありがとうございます

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