【いますぐ最幸のわたしになるまでのマイストーリー②】

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わたしの幼少期

駆け落ち同然で結婚した
両親の間に長女として産まれた
わたし

父は牧師
母は妊娠中〜出産〜産後まで
実家の助けも借りられず
ほぼ二人で乗り切り

とても大切に
そして厳しく育てられました

愛してくれてはいた
でもそれ以上に必死だったのだと思う

両親はとても夫婦仲が良く
超前向き人間の父に似て
根拠のない自信は昔からあり

自己肯定感は高かった

でも
それは完璧にできたとき
うまくいっているとき
無理矢理ポジティブに考えているときのみ
発揮されるもので

少しでも失敗したり
自分に失望することがあると

途端に損なわれる
とても弱く脆いものでした

自己受容が
できていない

そのことにすら
気づかないまま

ずっと自分を責め
上手にできない自分はダメ
ポジティブでいないとダメ
人に認められてなんぼ

物心ついた頃から
無意識に自分にバツをつけて
生きてきました

苦しかったわたしの子育て

それが顕著に出たのが
子育てでした。

母はわたしが高校生の時に
ガンになり

それがきっかけで
鬱を繰り返すようになり

産前産後のお世話を
お願いできるような状況ではなく
両親に相談することもできず

ほぼオットと二人で
乗り切りました。

お母さんが手伝いに来ない

田舎では
ありえないことのようで

みんなに驚かれました。

可哀想と思われたくなかった
憐まれたくなかった

だからいつも
平気なふりして
余裕なふりして

誰にも相談せず
弱音も吐かず

初めての子育てをしました。

今思えば
とても孤独だったし
母にも手伝ってほしかった
周りの人に助けてと言えば良かった

手伝いに行けなくて
ごめんね
と一言でいいから
母に謝ってほしかった

きちんと育てなくては
手伝いがなくても
わたしはちゃんと立派にできる
ということを見せなくては

そんな思いから
長男に対して
わたしはとても厳しかった

一度ダメと言ったものは
絶対に認めない

良い子に育てようと
しつけをきっちりした

可愛いはずの我が子が
わたしを苦しめるために
産まれてきたかのように思えた

ぎゃーぎゃー泣く我が子を見て
うまく育てられないわたしは
母親失格だと落ち込む

アトピーになったのも
爪噛みが治らないのも
お友達のカードを盗んだのも
片付けられないのも

すべてすべてわたしのせい

他のお母さんたちは
幸せそうに愛おしそうに
我が子を上手に育てているのに

なんでわたしには
それができないのだろう??

わたしと向き合うきっかけ

小4からは
小学校に行きたくないと
泣いて学校に行けなくなり
ほぼ一年間不登校

どうして行けなくなったのか
これと言った理由も見当たらず

不登校の理由が欲しくて
わたしを責め
長男を責め

やっとやっと
わたしと
しっかりと向き合おう
向き合わなくてはいけない
と気づかされたのでした…

次は
最終章!!

どう向き合って
どう乗り越えて

いますぐわたしのままで
最幸と言えるようになったのか
完結編をお送りします♡

読んでくださった
あなたにたくさんの感謝を込めて♡



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