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ケモノきぐるみイベントを記憶で振り返る企画その1

とらんすふぁからJMoFまでの軌跡を辿る


とらんすふぁ3のポスター

日本のきぐるみイベントの黎明


 日本のきぐるみイベントの出発点と言えるものを上げるとすれば、私は「とらんすふぁ」を推薦したい。

 なぜならば、日本の2つの大型きぐるみイベントの源流であり、この2つのイベントには多くの「とらんすふぁ」関係者が深く関わっているからだ。

 それ以前にも、きぐるみ愛好家が湖畔のコテージを借りて行うイベントが存在したり、クローズな宅オフや会議室を貸し切って行うこともあったが、どれも公に人を募集したり継続して行われるという2つの条件を満たすモノは私の知る範囲では見受けられなかったように思う。

 ※ただし後に解説するが当時のイベントの募集やオフ会はmixiや個人サイトなどの限られた空間でやり取りされていたので、部外者の目に留まらず記録が残っていないだけの可能性も十分あるのでそこは留意したい。

 「とらんすふぁ」が画期的であったのは、運営が同一グループで継続され、きぐるみを自作しない一般人を広く受け入れ周知されたことだろう。

日本のきぐるみには流れが2つある


 日本のきぐるみ文化を語る時には「マスコット系きぐるみ」と「リアル系きぐるみ」の2つの主流があることを語らねばならない。

 日本において最初にきぐるみイベントを立ち上げ活動していたのは、現在でもよく目にするイベントマスコットや動物の見た目をしたきぐるみの愛好家であったと言われている。

 マスコット系のきぐるみ愛好者はグリーティングをメインとして考えており、一般の方と写真を撮ったり触れ合う活動がメインなことが多かったと聞いている。

 マスコット系の方は自作よりグリーティングに重きを置いていたようで後にリアル系の人々が自作に力点を置くと2つの界隈は別の道を歩んでいったが、現在でもJMoFではマスコット系キャラが見られるので厳密に別れたという訳ではない。

 ※曖昧な書き方が多いのは、自分がマスコット系キャラの方々とあまり交流がなく、人伝に聞いたためである。
 指摘があれば是非感想をいただきたい。

きぐるみ愛好家がつながるきっかけ


 日本では元来「マスコット系のきぐるみ」があった反面それを愛好する人々が集まるイベントはなく催し物に仮装の一つとして着て楽しむぐらいであった。

 しかしそれを変える出来事が現れたのである。

 一つはインターネットの普及である。
 2000年にIT基本法が成立し、政府主導で日本のネット環境整備が加速した結果、多くの人がインターネットにアクセスする環境が整い、日本全国の愛好家がつながる手段が出来たのだ。

 しかし、つながる手段が出来たとしても当時のインターネットはまだまだ個人ページが主流であり、更に検索エンジンが貧弱だったことから愛好家の横のつながりに頼らざる負えない現状は続いた。

 その現状を打破したのはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の登場である。

 SNSとして当時もっとも有名なモノの一つが「mixi」であろう。
 このmixiこそ日本のSNSと嚆矢といえるサービスであり、きぐるみ愛好家が次々とつながっていくきっかけになったのである。

ゆるキャラブームときぐるみ


  話は当時の社会情勢になるのですが、みうらじゅん氏が「ゆるキャラ」という単語を商標登録したのが2004年4月26日である。
 それ以前の2000年からみうら氏はゆるキャラに関する記事を雑誌に連載していた。

 きぐるみとゆるキャラは一見すると関係ないように思えるが、マスコット系きぐるみ愛好家は、ゆるキャラ好きな人も多く、またゆるキャラからケモノ界隈に入ってきた人もいるのでケモノ界隈の活性化に寄与した一面は否定出来ない。

 ※正直に言えばマスコット系のことは表面的にしか知らないので多くの誤りや誤解が含まれている可能性が高いので、どなたかマスコット系から見たきぐるみ界隈の話を執筆していただきたい。

日本のきぐるみコンベンション


 マスコット系から離れてきぐるみ自作勢の話に移ろうと思う。

 日本の自作きぐるみ愛好家のイベントは、上記のとおり会議室や宅オフを友だちや仲間と貸し切って、自作したきぐるみを見せ合うことが始まりだったと聞いている。

 この場合、自宅なら手土産片手に訪問し、会議室を借りる場合などは全員からお金を徴収するか、主催者の「持ち出し」で行われていた。
 そのため主催者は主に社会人や、アルバイトが出来る大学生が行うことが多かった。
 イベントの規模が大きくなると徐々に運営資金の面で厳しくなりカンパを募る募金箱が置かれることが増えと記憶している。

 現在でも、地方のイベントやとらんすふぁの事実上の継続団体であるKemoconなどにはカンパ箱が設置されているのはその伝統の名残だ。


とらんすふぁ3で置かれていたカンパ箱の張り紙

 話はとらんすふぁに移るが、とらんすふぁは会費を取らずに運営していたが、パンフレットを発行して運営資金としたりグッズの販売を行って赤字を補っていたと言われている。
 しかしパンフレットの購入が強制だったような記憶もあってハッキリしないが、自分の勘違いか継続団体であるKemoconの出来事と記憶が混同している可能性があるので当時をしる関係者には是非ご指摘いただきたい。

 どちらにしてもきぐるみ愛好家が増えるに従いこのカンパ方式は難しくなり参加費を採用するイベントが増えていく。

 この時期、日本のきぐるみイベントはまだまだ手探りであり、マスコット系のキャラも参加する「とらんすふぁ」では、じゃんけん列車や椅子取りゲーム、あるいは寸劇など、どちらかといえば子供向けや万人向けのコンテンツを提供していた。
 これは参加者に未成年者も含まれていたのと、まだきぐるみ=子供のものというイメージから抜け出せなかったのでは無いかと思う。

 しかし参加者の一部はきぐるみで女装や赤褌をつけるなど当時からセンシティブな表現のきぐるみ参加者がいたことは事実としてここに書き留めておく。

 成人向けな表現は後に日本のきぐるみ界隈を揺るがし、マスコット系と別れた一因と私は思っている。

 ※ただし、別れた時期をハッキリとは知らないので因果関係の錯誤がある可能性がありこの部分は断言は出来ない。
 指摘していただけたら幸いです。

 日本のきぐるみイベントは最初きぐるみをお披露目することから始まり、徐々に舞台でのパフォーマンスを行うなど、宴会や学園祭に近い形態に変化していくのだが、ここで行われたパフォーマンスは大道芸のような中国ゴマを扱うものや、お手玉・ジェンガなどがあった。
 とらんすふぁは約2年で5回ほど行われたがとらんすふぁ4では、きぐるみ参加者が寸劇を披露したりと徐々に自作きぐるみを披露する場から一歩進んで「きぐるみで何をするのか」を模索するようになっていたと思う。

 現在でもきぐるみイベントで音楽演奏や大道芸が行われる流れはこの時代にすでに流れが出来ていたのだ。

 このように日本のきぐるみイベントは流れとして全年齢層が受け入れられる「人獣共同参加型ゲーム」と「一芸を見せる」という特徴が出来上がったのだが海外のきぐるみコンベンションではこのようなきぐるみ参加者がなにか一芸をするということはあまり無いと聞いたことがある。
 もちろんダンスや音楽のなどを披露するきぐるみ参加者はいるのだが、どちらかといえば、きぐるみを着てみんなとおしゃべりをする「場」してのイベントがメインでは無いだろうかと思う。

 後にJMoFなどのイベントは海外の「きぐるみコンベンション」を参考に欧米ナイズされているが、きぐるみ参加者のパフォーマンスの伝統は今でも続いている。

続く

続きは次回書くので、疑問やご指摘がございましたら感想お願いします。

 2023年01月19日 一部の表現と語尾を修正


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