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22歳、戸惑いの嵐。


先月、誕生日を迎えた。



早いものだと思ってしまう自分がいるのは、時の流れの速さを自覚してしまったからなのかな。だけどまだ22年。まだまだきっとこれから。だから「もう」なのか「まだ」なのか、どっちにも感じてしまう。なんだかよく分からない。
あぁ、曖昧で中途半端な年齢だなとは思う。


とはいえ、わたしの中身は昔からそれほど変わっていない。
あれ。変わったか。変わったな。
昔の方が、なんというかずっと背伸びして大人びていたような気がする。

おとなしいね。
ちゃんと意見できてすごいね。
えらいね。
良い子だね。

そんな、本当ならばプラスに感じられるような言葉たちはわたしの選択肢を狭くしていった。どんんな声も素直過ぎるほどまっすぐに受け取っていた。

「大人の言うことは正しい」

そう思って投げかけられる言葉の範囲から抜け出せない子供だったと、今なら思う。

困らせちゃいけない、我慢してればなんとかなる、甘えるのは迷惑、わがままなんて本当にだめ、なんて思い込んでた。

1日でも早く大人になりたかった。

悔やんでも仕方ないし、過去は足掻いたって変わらない。それでも、言葉は時として鎖のように自由を縛り上げることもあるんだなんて今更ながら考えるくらいには、あの頃のわたしは息をできていたのかなと苦しくなる。わたしの自由を、わたしが決められなかった。

我ながら、「窮屈だったよね」「もう少し伸び伸びしてもよかったかもね」とあの頃のわたしに声をかけたいくらい。小・中学生だった時のわたし。よく頑張ったねって、抱きしめてあげたい。


ただ根っこのところは本当に変わらない。
小・中学生の時のわたしが、
わたしを形作る基盤のようなものだから。
それでも今は、ある程度「許す」ことができるようになってきたんしゃないかと思う。

拙い自分も、幼い自分も、甘えたな自分も。いつもじゃないなら、たまには良いんじゃない。なんて、自分を少しずつ甘やかしてみたりとかしちゃって。

背伸びしたって、背伸びしなくたって、わたしであることに変わりはなくて。対外的な自分とそれ以外のだらっとした自分を、うまく分けることができるようになれたら。それくらいが割と良いんじゃないかって思うようになった。
少し苦しくても。



「大人の言うことは正しい」

けれど、それを受け入れるかどうかはわたしが決める。相手の正義を全部真に受けたら、いつの間にか消えてしまうから。
自分なりに自分の考えと上手くブレンドさせる。

まだできてるとは言えないから、いつかきっと。


なんだかんだ生きてきたけれど、
そんな今のわたしは思ったより燃えていて。

今年の3月に大学を卒業した同級生に会う機会があった。
それこそお互いに中学生だった時からの唯一無二の友達。彼女たちは双子だけれど仲が良い。ふたりとも良き友達であり、考えの幅を広げてくれる存在。
彼女たちに会って、夢を語った。いつか、の話。近い将来か遠い未来かはわからない。現実になるように、今の自分にできることを模索している。それを実行していく。今はまだちっぽけでも、形にする。基盤を作る。絶対にやる。
今やる、と踏み切れないところに3人ともの慎重さが透けて見える。今の私たちのゴールは同じところにあるから、それぞれの道を今は歩もう。

実は未来の話は苦手だ。
少し、縛られているようで。
それでも嫌じゃないのは、夢というものだからかもしれない。わからないけど。なんでだろうね。


来年。
次の誕生日はまた少し成長したわたしに会えますように。日々ぼちぼち生きてくよ。


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