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将来の夢のはなし

小学生の頃 大人がわからなかった
俺がどんなに楽しそうな口ぶりで話してもそれをものともせず受け流しているのを見て俺は軽いショックを受けていた。
大人になることを恐れる理由がたくさんあった。教壇に立つ大人はいつも小さな人間を脅していたし

いつだったか思い出せないけど今より幾分か若い頃 将来の夢を書く欄にこう書いたことがある。

普通の人間になる

その頃の俺はスレていたし 自分の哲学を考え始めていたからそう書いた
具体性の無い夢を書くと 夢の理由はいくらでも後付けが出来てカッコいいなと思っていたからでもあった

当時 自分の行く末が本当に怖かった
だって大人を恐れているのに大人になれるわけがなくて 自分を食わせてあげる事なんてできるのかわからなかったし
理由の後付けと言った手前 カッコつけていると思われるかもしれないが これは本心

母の弟は 中学生の時 高校生の時 30代の時にチャリンコで何度か飛んだことがある
俺はその人のことが人間的に好きで 大人の嫌らしいところが感じられない人だった
数回しか会ったことがないけど 少しだけ一緒に暮らしたことがあるし ただいまとおかえりも言ったの覚えてる
金に困って何度か万引きをしたその人は 伸び切った坊主頭のままで また飛びました 多分

母は弟のことを大事に思っていたけど「中学生のまま何も変わってない」って言ってた

その弟の心の内を聞かせてもらったことは一度もなかった
でも 未来にある責任?の様なものに出会わないように チャリンコで無理矢理方向を変えてしまう気持ちはとてもわかる気がします
チャリンコって良いよね エコだし

俺は無理矢理チャリンコに乗ることはないけど 不安になった時ややり直したい時には夜中の川に行くようにしています
実家を出て引っ越してからは 川が近くなった
俺は考え出すと止まらない性格なので 溢れすぎる考えや思いとかを 海とか川に流したくなる

必要な考えだけお家に持って帰って また頭の中で整理を始める 楽しい時も悲しい時も怒っている時も全部余分なものを流しに行きます

今 友達が元気でいることが一番大切なことです
人々の感情は俺の中から出てくるものではないから川には流せない 良かったです
家に帰っても残っているものだから愛しいです

人が愛しいと思うようになったのは高校生の時で めちゃくちゃ気分が良かった時に初めて 俺に関わってくる全てが愛おしくみえたので全てを受け入れて心の中で愛しました そうなると誰も俺に嫌な顔をしなくなる事を覚えたし

もしかして 普通の人間になることってそこまで重要じゃないのか まだ理解できてない
今 普通の人間になることを求めているけど とっくに周りは普通の人間だと認めてくれていると思う
チャリンコよりも愛の方が大事だし
愛の方がチャリンコよりもエコな気がする

俺がどんなに痛い目にあっても 愛を大事にできるようになりたい それが今のところ夢であって今までのどんな夢よりも難しい
難しいことはしたくないけど愛はもっと単純であって欲しい 猫を愛でるくらい単純であって欲しい

考えが空っぽになって気分が良いので以上です

そんで唐揚げ食べたすぎ

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