見出し画像

行方不明展開催記念「個人的な『不気味』さについて」

2024年8月1日、渋谷・LOFT HEAVENにて「行方不明展」の開催を記念したトークライブが開催されました。

今回は「個人的な『不気味』さについて」というテーマで、制作陣の梨氏、大森時生氏、そして来場者である「オモコロ」編集長・原宿氏が登場。それぞれの立場から「行方不明展」を振り返りながら、いま「不気味」だと感じるものについて語りました。

(取材・写真:天谷窓大)

予想外の「感想」に感じる現代ホラーの肌感覚

大森:不思議なことが起きているんですよ。Xで来場者の方の感想を見ていると、「こんな展示物置いたっけ。知らないな……」というものが増えていて。

原宿:展示物の中に双眼鏡、ありますよね。覗いても何も見えないはずなんだけど、このあいだXを検索していたら「左部分だけ青い空が見えた」と書き込んでいる人がいて……。もはや、制作陣がコントロールしていないものが「見えちゃってる」んじゃないかって。

梨・大森:(笑)

原宿:作り手がまったく意図しないところでストーリーテリングが始まっているのが印象的ですよね。ある種、呪いに近いというか。

大森:いまのホラーブーム的なものも、割とそっちの感覚がありますよね。

何か明確な「きっかけ」があってそこから逃れるとか、何かひどいことが起こる、みたいなことではなくて、「物語が始まった時点で『もうとっくにダメ』だったんだ」と気付かされるというか。

原宿:自分たちが見るずっと前から、すでにこの状態だったんだという……

大森:そうした感覚が通底していますよね。

梨:「もうとっくにダメです」というのは、僕と大森さんが手掛けた『このテープもってないですか?』で、MCのいとうせいこうさんが終盤に放った言葉なんですよね。感覚の言語化に長けたせいこうさんだからこそのパンチラインだったなと。

原宿:「行方不明展」が他のホラーと違うなと感じるところがあって。「もうとっくにダメ」ではあるんだけど、そこにちょっとセラピー的な感じも覚えるんですよね。

先生に「もうダメなんでしょうか」と聞くと、「みなさん『とっくにダメだ』って言うんですよね」と言われて、「俺だけじゃないのか」みたいな。ある種の共感で包まれた感じがあって、それがなんか、少し先の感覚だなって思ったんですよね。

大森:梨さんと企画会議をした際にも、「『とっくにダメ』だからって人生を終えられない」という言葉が出てきて。

梨:終わりにできないって、とても苦しいものですよね。

大森:このあたりは、梨さんの小説『6』でも語られているポイントですよね。とっくに終わっているけど、そこからも人生は続いていて、そのときに取る行動って何があるんだっけ、っていう。
梨:たしかに通底しているところではありますね。すっぱりと終わりにはできない。

「いなくなりたい」という感情をどう捉えるか

大森:「行方不明展」を見た直後の原宿さんに会ったら、あまりに呆然としていて。会話もうまく成り立たないほどで。

原宿:現実感がすごい自分から抜けてたっていうか。「あれ、なんだっけ?」って。ちょっとボーッとしちゃって。

大森:サウナでととのってる、みたいな……

原宿:なんだか現実から遊離していくような感じがあって。その中で、「もしかしたら俺、辛いのかな?」ってちょっと思っちゃったんですよね。心のどこかでちょっと「消えてもいいかな」という気持ちがあって。

必ずしも死ぬとかそういうわけではなくて、荷物をおろしたいと言うか、責任や文脈みたいなものをちょっと置いていきたいと言うか。そういう気持ちが100あるところの14%くらいあるなというのを“観測”したんです。

展示の中には、厳しい問いを投げかけてくるものもあるじゃないですか。「お財布に入ってた手紙」とか。「別世界に行ってもあなたがやり直せる保証なんてない、あなたが変わるわけじゃない」っていう。すごく厳しいけれど、本質的ですよね。

手紙の主はおそらく妹で、兄に向けて書いていて、お兄ちゃんに消えてほしくないという優しさとか執着みたいなものがあるんだけど、「いや、でも消える自由くらいはあるんじゃないの」という気持ちもあったりして。

そういう感情を浴びていって、14%あった「消えたい」という気持ちが26%くらいに上がったんです。大森さんと会ってボーッとしていたときの俺って、まさにこの状態のときだったんですよね。

大森:「行方不明展」に来ていただいた方に「行方不明になりたいと思うことはありますか?」という2択のアンケートを取っていて。

「これを見て行方不明になりたいと思う人もいるだろうし、逆にここで地に足つけて粛々と行きていこうと思う人もいるだろうな」と思いながら展示を作っていたんですが、実際結果は半々くらいなんですよね。

梨:見る人によってはホラーになるし、ファンタジーにもなるかもしれない。

「行方不明展」で描かれているストーリーの前提である「いなくなりたい」という気持ちに対して、ある種の切実さを共感として感じる人もいると思うんですけど、そう思わない人もいるというブレみたいなものもアンケートからは見えてきて、面白いなと思いましたね。

「いなくなった人」に何を思うのか

原宿:ティザー映像のひとつに、車の中で2人組の男性が話しているものがありますよね。友達同士の集まりがあるという話題が挙がるんだけど、もう片方の男性は「呼ばれたことない、そんな集まりがあったのか」と話しているという。

あれを見たとき、思い出したんですよね。連絡を取っていない友達とか、小さい頃めっちゃ遊んだけど、いまはまったく関係のない友達とか。オモコロに記事を書いてくれていたけど、いまは何をしているか全然わからない人とか。

行方不明になっているわけではないんだけど、「いまこの瞬間、自分の人生には“いない”」という人たち。でも、そういう人たちとも自分は確かに関係してきて、記憶としての自分の人生には「いる」という感覚みたいなものがあって。

いつも遊んでいたけど、もう取り壊されてなくなっている公園とか。そういう「いなくなってしまったもの」が自分の人生には無数にあるんだけど、それに対して必ずしも悲しいとか、寂しいとか、いなくならないでほしいって100%思っているわけではないというか。

今はここではないどこかにいるであろう人に対して、幸せな状態であってほしいと願うような、そんな感謝や応援の気持ちを覚えたんですよね。

展示物の中に、「使えなかったらごめん」というメモ書きとともに残された小銭がありますよね。人によってはあれを悪意と捉える人もいるかもしれないけど、僕は、いなくなった人に対する「温かい気持ち」を感じたんです。

言葉にするのが難しいんですけど、なんというか、「あなたがここにいたということを覚えさせていてほしい」というような。こういう気持ち、自分も持ったことがあったなって、展示を見て強く感じさせられました。

大森:物理的にその場からいなくなることと、その人の中からいなくなることって厳密には違うんですけど、見た人の感じ方としては一緒というか、非常に境目が曖昧になっているところが個人的にはすごく良いなと思っていて。

「行方不明展」の事前番組に、潮干狩り中に娘さんが失踪したお母さんへインタビューするシーンがあって。そのお母さんはいなくなった娘さんのことを覚えているけど、周りの人はもう誰も娘さんのことを覚えていないんです。

当のお母さんも、娘さんが見つかることは半ばあきらめているのだけど、インタビューに対して「他の世界で元気にやってくれていれば、それでいい」という趣旨のコメントをするんですね。

自分の周りから人がいなくなったり、自分がいなくなったときって、こんな感じかも、と思うところがちょっとあるというか。そこが今回、「行方不明展」で一番描きたかったところかもしれないですね。あの間(あわい)というか。

原宿:すごい微妙な感覚ですよね。

大森:梨さんもいろんなところで語っていますが、「行方不明展」って、ホラーというよりSF的な立ち位置というか。

梨:思考実験みたいなものとして、展示の世界観があるみたいな感じですね。

原宿:たしかに、見ていると自分の中に気持ちや思考がすごく巻き起こりますね。

フィクションとしての行方不明に見る「美しさ」

梨:「行方不明展」を立ち上げることになって、大森さんと構想を練っているとき、「行方不明的なモチーフをいま僕も使っているから、そことの差別化を考えないとですね」と言われて。

そんなことってあるのかと思っていたら、『イシナガキクエを探しています』という、とんでもない作品を作っていて。完璧に偶然だったんですよね、そこにたどり着いたのは。

原宿:示し合わせてそうしたわけではなく、各々の作り手が大事なテーマとして、自然発生的に思ったと。

大森:『フェイクドキュメンタリーQ』や『イシナガキクエを探しています』を一緒にやっている寺内康太郎監督がインタビューで話していたんです。「人が嫌な気持ちになるとか、呪われるとか、ちょっともう疲れましたね」と。「でも行方不明って、そうじゃないですからね」とも話していて。なるほどと。

原宿:そうじゃない、とは?

大森:行方不明って、極端な話、その場にいる人が全員望んでいた可能性もあると思うんですよね。

もちろん事件的な行方不明や失踪事件とか、望まれざる形もありますけど、それこそ「いなくなりたい」人、その人を探している人それぞれが、お互いにその状況を受け入れていることもあるんじゃないかと。欠損していることで実存を感じているというか。

呪いとか、事件とか、いわゆる一コマものとは違って、「行方不明になっている」ことによって、(周りの)すべての歯車が動いているというか。あるものがそこから去ったことによって、初めて場が成立している、みたいな。

ただ単に怖いとか、誰かが苦しんでいるのとも違って、欠損を追い続けることによって生まれる“美しさ”が、フィクションの場合はあると思うんですよね。そこをみんな追いたくなっているのかもしれないと思いました。

誰かがただひどい目に遭うホラーじゃなくて、そこにある種の美しさというか。古文でいうところの「いとあはれ」みたいな感覚を、ちょっとみんな生み出したくなってるんじゃないかなと。

梨:行方不明展の着想となったものの一つに、茨木のり子さんの『行方不明の時間』という詩があって。

「人間には 行方不明の時間が必要です」という一行から始まるんですが、「長い行方不明は困るけれど、一時的に行方不明になる時間というのは必要かもしれないね」という趣旨のことが綴られていて。

今回のタイトルは「行方不明展」であって「失踪展」ではないことの理由にも通じるところがあるんですよね。

「行方不明」という言葉が表す意味の範囲って、広いんですよ。たとえば、エアコンのリモコンが手元に見当たらないとき、「リモコンが行方不明だ」って言い方をするなと思って。

人の失踪だけじゃなくて、ただ物がなくなったことに対しても「行方が不明だ」というベクトルを感じ取っている。それってすごく言葉の受容のされ方として興味深いというか。そうした「行方不明」っていう言葉の多面性や間みたいなものが、今回の「行方不明展」には特に表れているように感じますね。

梨・原宿・大森が「不気味」だと思うもの

原宿:後半は、3人が最近思う「不気味なもの」をスケッチブックに書いて発表していきたいと思います。まずは梨さん、いかがですか?

生成AI時代の“終末予言”?「November 5」

梨:僕は、最近良かったネットロアの話を。Redditという海外版の5ちゃんねるみたいなサイトで流行った「November 5」という言葉があるんですが、生成AIのプロンプトに「2024年11月5日」と打ち込むと、街頭に大勢の人が倒れているような画像が表示されるという。

原宿:(表示された画面を見て)うわぁ……

梨:他の日付を入力しても出てこなくて、なぜかこの日付のときだけ、この画像が生成されるんですよ。こうしてネットロアが生まれる余地ってまだあるんだなと。

原宿:生成AIからまさか、ねぇ……

大森:現代的なネットロアの生まれ方というか。

梨:ちょっと前にも「ローブ」というネットロアがありましたけど(※生成AIで「ローブ」と検索すると不気味な女性の姿が現れるという都市伝説)、それよりももっと不気味さがあるんですよね。

「洒落怖スレ(『洒落にならないほど怖い話』というタイトルの5ちゃんねるスレッド)」というより、「エニグマスレ(不可解な体験談を集めた5ちゃんねるスレッド)」的な感じをうけるというか。

この手の話は海外で「Creepy Pasta(コピペ怪談)」と呼ばれるものですが、そういうものとして非常にそそられるものがありますね。

原宿:この日に何かがあるのかも……

大森:(日付の近さ的にも)覚えていられそうな……

梨:11月5日って絶妙な日付ですよね。

原宿:ちょっと最近多いですよね、終末予言的なものが。

僕らの世代ではノストラダムスの大予言(※1999年に世界が滅びるとした予言)とマヤ暦の予言(※2012年に世界が滅亡するとした予言)があって。

結果、2つとも「何もなかったじゃん」で終わったんですけど、ここへ来て新しい世代の終末予言みたいなものがポツポツ出てきていますね。

人間の悪意を“薄皮一枚”で見せつける短編映画「ママ友」

原宿:僕は「ママ友」という動画を紹介します。YouTubeに10年くらい前にアップロードされた8分の短編映画なんですけど、ファーストカットから「ヤバい」と思わされる秀逸なホラー作品なんです。主婦2人の会話劇なんですけど、その中身の“嫌さ”加減がすごすぎて。

どういう話かと言うと、事件か事故かに巻き込まれて、ある女の子が亡くなってしまうんです。

その後、その子の母親のママ友と思しき2人の女性が「誰々さんとこの娘さん、亡くなったらしいわよ……」と噂話を始めるんですが、その女の子の母親がママ友コミュニティの中で良く思われていなかったであろうというのが、会話の端々に現れているんですよ。

「勉強もスポーツも、なんでもできた子だったのにね。悲しいね」と口先では言うんだけど、だんだん雲行きが怪しくなっていって、しまいには「何をやらせても一番だったけど、死ぬのも一番だったね」みたいな嘲りの言葉に変わっていくという。

徐々に徐々に、すごい嫌な会話になっていくんですよ。でもその一方で、「でも、あなただって同じこと思っていたでしょ?」と突きつけられた気持ちにもなるんです。

社会の建前を突き抜けた地下に流れている、ものすごい悪意の感情というか。何かの拍子に決壊しそうな薄皮一枚のところをスーッとなでていくような怖さがありましたね。

大森:一番怖いのは、そのコミュニケーションって自分でもやってるよな、と思ってしまうところですよね。

人間誰でも何かに悪意を持ったり、「こういうの嫌だな」と思うことがあっても、みんな大人だから直撃で言うことはしないと思うんですよ。でも同時に「あなたもそう思ってるよね?」と確認するために、悪意の周りだけを立て続けるコミュニケーションをするという。

この「ママ友」では、それを亡くなった子どもに対してするんですよね。極端に戯画化、デフォルメ化されたものだからより刺さるけど、「これ、自分でもやってるな」と思ってしまうところがすごく気持ち悪く感じますね。

原宿:監督を務めた方のことが気になって調べたら、今はホラーと縁遠いグルメドラマや家庭ドラマを作っているんですよ。それもまた不思議で。「どうして?!」って。

大森:ホラーに向けていた創作欲はいまどこで発散されているんだろう。すごい気になりますね。

フェイクドキュメンタリーが持つ“魔力”と“魅力”

原宿:そうだ、これだけは言っておきたかったんだ!「『文藝』2024年秋号の大森時生のエッセイ」。非常に問題作だったんですよ。大森さんが2ページのエッセイを書いているんですけど、「もう死んじゃおうかな」みたいなことをちらつかせていて……

大森:正確なことを言うと、「フェイクドキュメンタリーのオチとして、僕が自殺したらウケるだろうな」と。死にたいんじゃなくて、ウケるんだろうな、と書いたんです。

原宿:なんでそこまで言っちゃったのか。それをちらつかせ始めたらいよいよ危ないんじゃないかって。それこそホラーの文脈を降ろしたしたほうが健康的なんじゃないかという気持ちになって。大森さん、いろいろ溜まってきてる気がしますよ。

大森:いやいや、そんな重いものじゃないです!「ウケんだろうな」って。

原宿:「ウケんだろうな」でそれをちらつかせているのが、かなりキてますって! 一回ちょっと肩の荷を降ろしてほしい……

大森:本当に「そうなんだろうな」っていうだけなんですよ。死にたいわけでは全然なくて。

エッセイにも書いたんですけど、『ダークナイト』でジョーカー役を演じたヒース・レジャーが神格化されている理由の一つに、ジョーカーを演じてそのまま亡くなったということが正直あると思うんですよ。

原宿:ヒース・レジャーは望んでそうなったわけではないから(※死因は急性薬物中毒による事故死とされている)。そろそろ逆に振らないと危ないんじゃないかなって。顔を白塗りにして「大森です!」って叫ぶくらいのキャラに……

大森:僕がやるんですか(笑) そういう作品を作るとかじゃなくて僕自身が?

原宿:「この人おかしくなっちゃったんだ」みたいな見せ方を一個作らないと。このままずっと何かを探すストーリーを作り続けることになって、いつかはそこに手を出してしまうんじゃないかって。

大森さん、いまは笑ってますけど、「本当にやばいらしいよ、最近」みたいなことになっていっちゃったら怖いんで。ちょっと荒療治をしたほうがいいですよ。

大森:じゃぁ、3人で山登ってみますか。

原宿:この3人で??

梨:おぉ……

大森:全然乗り気じゃない(苦笑)

原宿:この様子も何かに使われるんだろうなぁ、と思うと……

梨:エッセイでボロカスに書かれたらどうしようかと……

大森:そこって、フェイクドキュメンタリーの危うさでもありますよね。フィクションだってどんなに謳っても、それを撮っている瞬間は本当だから、どうしても現実世界と接続しちゃうんですよ。

前に『祓除』をやったときは僕も最後に出演して、「フェイクドキュメンタリーを作るフェイクドキュメンタリー」という構造だったんですけど、終わったあたりに「このまま続けていくと危ないぞ」ってかなり思いましたね。

『イシナガキクエを探しています』からは、「TXQ FICTION」と謳ったうえでフェイクドキュメンタリーを作る方向に切り替えたんですが、これは僕の中でも大きなターニングポイントだったかも。

原宿:フィクションと謳わないと危ない、と思ったんですね。

大森:フェイクドキュメンタリーはありとあらゆる暴力性を孕むし、それ自身が僕にも向きかねないなと。やっぱり精神的にも肉体的にも健康に生きていきたいって欲は結構強いので。いまも「ヤクルト1000」を毎日飲んでますし。

原宿:遅いなぁ(笑)

大森:リアルとフィクションの境目にあるという点が一番の面白さでもあるので、難しいところではありますけどね。

境目を見せることによって、人間はどうしても心が動いちゃう。罪な生き物だなって思いますよね。エンターテイメントそのものというよりも、そこから一個下りたというか、メタに一個上がった瞬間をみんな面白く感じちゃうから。

原宿:ともかく一回、僕らでロードムービーを撮りましょう。

梨:私も年末に行きましたけど、オモコロメンバーのみくのしんさんと一緒に高尾山へ登ったらいいかもしれない。

原宿:なるほど! みくのしんみたいな人間を大森さんにぶつける…… アリかもしれない(笑)呪いには呪いをぶつけるんですね。

梨:対消滅を狙う(笑)

原宿:呪われた同士の人間をぶつけて……

大森:白石晃士監督ばりに(笑)

原宿:『貞子 vs 伽椰子』方式で(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?