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「第一話」 ニューヨークJFKに降り立ったあの日の固い決意は何処へ?

エピソード4(ニューヨーク・短期大学時代第一話 
「The air smells different in every country」直訳すると、”どの国も空気の匂いが違う”という事だろう。 米国で知り合ったシンガポールの友人が故郷に帰って直ぐ私にメールした時の内容をふと思い出した。とてもしっくりくる表現だった。海外から帰国する時いつも成田空港に降り立つ度に私は安堵する。ああ日本に帰ってきたのだと。ゲートへと向かう途中のボーディングブリッジの隙間から漏れてくる風の匂いで分かるのだ。良くも悪くも日本は生暖かい平穏な風が吹いている。

そういえば Autumn In New YorkというジャズのスタンダードもNYCに住んでから、より曲の情景が浮かぶようになった。秋のNYCの匂い、肌に触れる風の感触を知ったからだ。

話は戻るが、2013年にNYCのJFKに降り立った私はその空気感の違いを直ぐに感じ取った。9月上旬なのにどこか冷たく緊張感のあるピリッとした風だ。今この瞬間からNYC、いや海外での生活が始まっているのだ。それはもう、ゆうこは期待と不安で一杯である。

空港内の英語のアナウンス、マッチョな黒人の空港スタッフ、愛想のない入国審査官を見て、自分は本当に海外に来たのだと、自分が日本というコミュニティーから離れた事を再認識する。そしてコミュニティーから離れるとはこんなにも心細いものなのだと感じる。

実を言うとNYCにはその前の年にジュリアードのオーディションで一度訪れている。(その経緯については後日また書こう)旅行で海外を訪れるのとは気分が全く違うのだ。失敗やトラブルも旅の思い出、全てポジティブに捉えられる事も、長期的に住む事が分かっていると不安な事を楽観視できなくなるのだ。昨年は一人旅でワクワクしていたが、今年はとにかく速やかに入国審査を終え、外で迎えに来て待ってくれているであろう三富さんに会わなければと内心焦っていた。

しかし私はこの時ワクワクもしていた。海外にいる自分は凄い、凡人とは行動力が違うんだと。留学センターに頼ることなく、短期大学にウェブサイトから入学を申し込み、電話・メールでやりとりをし、I-20の取り寄せ、アメリカ大使館からVISAの発行、全てのステップを踏んだのだ。(これも後日書くが、このプロセスは近所に住むパトリシア先生が全てやってくれた)

語学学校ではなく、短期大学への留学は凄い(私の中で短期大学は語学学校に勝るという謎の基準があった。)なんとしてでも大物になるという漠然とした目標。表参道のお店で買った、今までで一番買った中で一番高いシャツ(1万6千円のポロシャツ)にカバンを背負い、少し欧米ファッション意識した私は颯爽と空港を歩くのだった。僕はイケてる!いよ、国際派ピアニスト!日本人だと思って舐められようにしないと。

私は日本ジャズ界のコミュニティーを離れ、一からここで新たな人生を築いていく覚悟をしていた。なんとも晴れ晴れもしかった。日本のジャズ界で長年働くと当然人間関係も色々と複雑になっていく。私は全て断ち切りたい思いがあった。人生をリセット出来る機会はそうはないだろう。ついに外国の土地を踏み、これから新たなキャリアを歩んでいくという希望に溢れていた。

とはいえ、疲労困憊していたのも否めない。エコノミークラスでアメリカにいくと、乗り換えを含めると大抵いつも13−20時間はかかる。機内で十分に寝れなかった私は、体力の限界を感じていた。つらい。

空港に降り立ち、イミグレーションへ行くと愕然とした。物凄い長蛇の列。私が乗っていた便だけではない。その時間帯に着いた夜の便から凄まじい数の搭乗者が、ひっきりなしに列を作るのである。ようやく、イミグレーション周辺で、携帯のWifiが繋がる。三富さんが外で待っていてくれている。なんて言って詫びよう。これは相当時間がかかるぞ・・・

長蛇の先頭は10列先だろうか?しかし一列分の入国者をさばくのに20分かかるような感覚だ。列は一向に動かない、入国者と審査官の比率が明らかにおかしい。日本のコンビニのように、混雑するランチタイム時にレジをフル稼働するという配慮がそもそもない。アメリカに来て最初のカルチャーショックだろうか。とにかく効率が悪い・・・

アメリカ市民権を持つ人は、別のところから入国審査をさっとすませる。そもそも列なんて存在しない。なるほど、社会で少数派になるとはこういうことなのかと。私はアメリカ市民権を持つ人と比べこんなにも受ける待遇が劣るのかと学んだ。

Wifiが途切れ途切れになりながらも、並んでいる間、三富さんに何度かメッセンジャーでやりとりをした。状況をその都度伝える。「ごめんなさい、今ついたばかりなのですが、物凄く混んでいて・・・あと3時間はかかりそうです。」「一向に列が動かなくて・・あと2時間はかかりそうです」「あともう少しです。おそらく30分で出られるかと。。。」そして入国審査を終えた私は、三富さんとの指定の待ち合わせ場所へと向かった。

『続く』

写真:出国する直前に、美智子さん、紀子さんがお見送りに来てくれた。二人はジャズを通じて知り合った。紀子さんはジャズシンガー、美智子さんは私が渡米する前によく一緒に共演していたベーシスト、スタン・ギルバート氏の通訳をされていた。二人とも偶然にも成田空港で働いていた。日記をかくにあたってこういうことも思い出す。私は多くの方に応援されてきたのだと。

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