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【音源付き】初心者向け講座・キースジャレットの偉大さについて考える-オープンマインドとは何か-【Part.1】

はじめに

数日前にNew York Timesを読んで(本当は読んでいないが、英字新聞を読んでいると言うと国際派ピアニストみたいで格好良いので言ってみる。( •̀ㅁ•́;) 実際は友人がシェアしたNew York Timesの記事がFacebookでシェアされていて知った。)驚いた。何と、ジャズピアニストのKeith Jarrett (以降キースと略す)が2018年に二度の脳梗塞を引き起こし、今も左手に麻痺が残った状態で、復帰は困難と判断。今後、公の場でピアノを弾く事はないとの事。事実上の引退を表明したのだ。何を隠そう、私の音楽人生で最も影響を受けたジャズピアニストの一人はキースで、私の音楽観はキースによって大きく変えられ、長年私はキースを崇拝してきた。

キースの偉大さを私なりに簡単に表現すると、ジャズという音楽に、クラシック音楽に存在するような静寂・緊張・精神性・芸術性・崇高さをもたらした立役者だ。私が知る中でも彼はジャズの歴史上最もオープンマインドなピアニストで、最もピアノテクニックのあるピアニストだった。キースのような唯一無二のピアニストは二度と現れないだろう。

今日はキースの偉大さを彼の音楽キャリア、また、それらがどのように彼の音楽に影響を与えたかを音源や楽譜を使って分かりやすく解説していきたい。初心者にも分かりやすく、専門的な用語はなるだけ避け、また、Hなオジサンにも分かりやすくシモネタも時折交えながら楽しく解説していきたい。(´・ω・`) おっぱい。

その前に、私とキースの馴れ初めについて簡単に述べさせた頂きたい。著者とキースジャレットの出会いは、私が高校2年生の時に遡る。著者は中学2年生のまだチンゲも生えていない時に(←嘘)ビルエバンスのCDに出会い、ジャズの何とも形容詞難い美しさに圧倒されジャズにのめり込んだ。高校に進学後、武蔵野市立中央図書館と吉祥寺図書館のジャズコーナーのCDを片っ端から借りてはお小遣いで買ったMDに沢山落として聞いていた。最初はまだミュージシャンの名前すら良く知らなかったので、とりあえず片っ端から聴いて、自分が直感的に良いなと思ったCDのミュージシャンの名前を覚えるようにしていた。

その時に私はKeith JarrettのCDに出会った。一番最初に出会ったCDは良くなかった。第一印象は大事である。最初の印象がその人のイメージをしばらく
引きずるからである。

私は高校に進学し、初めての席替えで、E子ちゃんというクラスの男子から人気者の女子と隣り合わせになった。彼女はとてもフレンドリーで、童貞の私にも優しく接してくれ、私は終始緊張していたが、彼女と時折会話をするのが嬉しかった。ある日彼女は、休み時間中に机に座っている私に話しかけてきたのだが、私は座った状態で立っていた彼女を見上げる形になり、彼女の鼻から緑色のデカイ鼻くそが見えてしまった。E子ちゃんは勿論その事に気がつくことも無く、笑顔で終始私に話しかけてくるのだが、緑色の鼻くそが鼻息でプルプル揺らぐ度に私は傷ついた。童貞だったのでそのショックは尚更大きかった。クラスの男子の人気者で可愛いE子ちゃんですら、私の彼女に対する印象は最悪になってしまい、その後高校3年間は彼女と廊下ですれ違っても、緑色の鼻くそが揺れる光景が思い浮かばれるだけだった。

話は逸れてしまったが、要は、私は初めて聞くキースのCDがあまりにも期待はずれだった為に、彼への評価が駄々下がりになってしまったという事だ。そのCDはInside Outというキースジャレットのトリオのライブレコーディングだったと思うのだが、全曲フリー(アンコールだけWhen I Fall in Loveというスタンダードを演奏している。ちなみに性的な意味ではなくエクスタシーを感じる位、それは人間が作り上げる領域を遥かに越えた音楽となっている)で、何かヒューヒュー、ヒーヒー、ギーギー音がする。トリオなのに、もう一人パーカッションがいるのかと思った。後でキースの奇声だと知る。凄いことをやっているのは分かるんだけど、自分はとても理解できるレベルではないなと思った。勿論今このCDを改めて聴くと、なんとも人間は美しいものを作るのだと圧倒されるのだが、当時の私のジャズに対する造形の浅さを考慮すると無理もない。

しかしながら、キース君は首の皮を繋いだのである。(←は?あんた何様?)というのも、私は父親がジャズが好きで、キース・ジャレットという名前を彼がよく口にしていたのを覚えていたからである。童貞ながらもキースジャレットは凄い人だと知っていたので、とりあえずもう少し聞いてみようと思った。二枚目に武蔵野市立中央図書館で借りたCD「Still Live」にはジャズのスタンダードが入っている。へー!スタンダードも弾くんだ( ^ω^ )そう思い聞いてみた。衝撃が走った。そう、阪神のボーアが真ん中高めのボールをフルスイングして当たった瞬間に「あ、これは入ったな」と思うくらいの当たりである。外国人特有のホームラン性の鋭い打球のように、私の脳に鋭い電流がビビビと走った。

Keith Jarrettの音楽はそれまで私が聞いてきたジャズとは全くもって違うものだった。私はウィントン・ケリーやビル・エヴァンスの音楽をジャズのイメージとして捉えていたが、キースの音楽は何とも形容できない崇高なものだった。 (ビルエバンスを白人のジャズの代名詞として使う人が多いが、個人的にはビルエバンスはバドパウエルの匂いがとてもする。私はビル・エバンスからはとても黒人のスピリットが伝わる。安易にビル・エヴァンスを白人のジャズと形容しないで欲しい。怒)

その後、私はすっかりKeithの音楽に虜になり、彼のCDやDVDをDisc Unionやヤフオクで買い集めた。今ではYoutubeで彼のライブ映像を無料で見られるが、当時の私からしたら夢のような事だったかもしれない。

ちなにに私は日本でキースのトリオ(スタンダーズ)のライブを2回、ソロピアノを2回聞いている。

初めてキースのソロピアノを見に行った時のこと。
私は同業者でもあり、同じくキースのファンであるピアニストの栗林すみれちゃんが、チケットを買ってくれたので、彼女と渋谷のオーチャードホールまで観に行った。当時の私はキースジャレットを生で観たという事実を作りたいがために、背伸びしてすみれちゃんにチケット購入をお願いした感は否めなかった。会場につきチケットの交換として私は建て替えてもらった1万2千円すみれちゃんに支払った。内心後悔していた。20歳そこらの私には大変痛い金額である。涙

キースのコンサートチケットは高い。1万2千円でも2階席だ。遠くからピアノを眺める形になってしまった。コンサートが始まり、キースは熱狂的な信者が集まる客席を前にステージ上に姿を表した。おもむろに、彼は指を鍵盤上に置いてポーンと最初の1音を鳴らす。その瞬間に私は1万2千円を払って良かったと思ったのである。なんとピアノの音が美しいことだろうか。CDで聞いて衝撃を受けた音色を生で自分が聞いているなんて。私はむしろ感謝していた。アンコールでは彼は3曲も弾いてくれた。演奏が終わった頃はすぐに立ち上がることが出来ないくらい私は余韻に浸っていた。そして遠くにある一台のピアノで、こんなにも多くの聴衆とつながる事が出来るのかと驚かされると同時に、私は音楽を通じて彼がこれまで生きてきた人生を共有したような気がした。特別な夜だった。

以下の文章は私がインディアナ大学のジャズの歴史の授業のレポートとして書かされた(ゆうこ宿題嫌い(;´・ω・))内容を抜粋し、初心者には分かりやすく、そして日本読者の方のためにアメリカの地理や歴史も詳しく解説し改定したものである。それでは行ってみよう。

キース・ジャレットという音楽家

キース・ジャレットという音楽家は、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイビス、チャーリー・パーカーと同列に語られることは無いが、筆者はジャズの歴史上最も重要な人物だと考える。それは彼のオープンマインドネスにある。キース・ジャレットのように様々な音楽を吸収し自己の音楽に取り入れたピアニストは他に例がなく、それによって作り上げられた音楽はジャズをも超越する物だと筆者は考える。彼の人生、彼が聞いてきた音楽、音楽家としてのキャリアはどのように彼の音楽に影響を与えたのだろうか?

キース・ジャレット 幼少期・少年期

彼は1945年 生まれる。ペンシルバニア州のアレンタウンに生まれ、少年期はフィリーでジャズを学ぶ。フィリーとはフィラデルフィア、ペンシルベニア州の州都で、アメリカの代表名物料理?(めちゃくちゃおいちー!(๑´ڡ`๑))フィリー・チーズ・ステーキ(細長いパンに牛肉を細かく刻んだものにオニオン、ピーマン、チーズ、そしてバーベキューソースをかけたサンドイッチ)はここの地名が由来となっている。ちなみにフィラデルフィアはアメリカでも最も古い都市の一つで、トーマス・ジェファーソンらが起草した独立宣言が採択された議事堂もここにある。キリッ!

アメリカに留学してから気づいたのは、アメリカは広い(←当たり前)あとその州、地域独自のジャズ文化があるという事だ。良くジャズと言うとニューヨークをイメージされる方も多いかもしれないが、ニューヨークでジャズが盛んになったのは1940年代からである。世界中からトッププレイヤーが集まるのは事実だが歴史は意外と長くない。それまでは中西部のシカゴや、南部のカンザスシティ、もっと歴史を遡るとニューオリンズこそがジャズの聖地で、都というのは転々する事が分かる。ジャズの文化は多様で、例えばロサンゼルス・西海岸、南部テキサスにも独自のジャズの文化もある。私の住んでいたインディアナ州の州都インディアナポリス、通称・インディーにもフレディー・ハバード、J・J ジョンソン等歴史的なジャズジャイアンツを輩出しており、アメリカのその土地土地に地域独自のジャズの文化が存在し、優秀なプレイヤーがいるという事をお分かり頂けるだろう。

さて、フィラデルフィア(以下フィリーと略す)はどんなジャズ文化があるのだろうか?フィリー出身のジャズミュージシャンに話を聴くと、フィリーではストレート・アヘッドなジャズが盛んだと言う。実はここからは世界的なジャズミュージシャンを数多く輩出しているのだが、その事を日本ではあまり知られていない。私が知るだけでも

Joey Defrancesco
Christian MacBride
Jeff tin Watts 
McCoy Tyner 

えーー!!凄い!(;´・ω・) もう正統派ジャズが好きな方はたまらないメンバーだろう。(ちなみに初期のマッコイはかなりストレートアヘッドである)ギグでも正統派ジャズを演奏する機会が多いという。

ちなみにかの有名なドラマー、Philly Joe Jonesは本名はJoseph Rudolphと言うが、同時期に活躍していた偉大なジョーという別のドラマーJo Jones(本名 Jonathan David Samuel Jones)と間違えられるため「じゃあお前はフィリー出身だからフィリー・ジョー・ジョーンズな! (´・ω・`) そんであんたはオッサンだからパパ・ジョー・ジョーンズな!」っとなったのである。

さて、話は長くなってしまったが、そんな豊かなジャズ文化があるフィリーでKeith Jarrettは少年期にジャズを学んだと言われている。同じペンシルベニア州にある the Deer Head Innでは彼が駆け出しの頃に良く出演していたそうで、のちにライブ盤を出している。最高のアルバムだ。コンサートホール演奏がメインのピアニストが地元の小さなジャズクラブに出演するのである。私も将来キース位に大成した時に(50年後)春日部にある小さなジャズクラブで演奏してあげても良いと思う。(ギャラ200万な!( ^ω^ )ニコニコ )

ペンシルベニア州とフィリーの話で盛り上がったが、彼の幼少期について述べていきたい。音楽家の神童ぶりは話のネタになるが、キースも例外ではない。他にも有名なジャズ・ピアニストでは9歳でシカゴ交響楽団と共演したハービー・ハンコックも神童と言われるが、キースの場合は次元が違う。笑 著者は神童という言葉はあまり使いたくないが、彼の場合は常軌を逸している。彼は3歳になる直前にピアノを習い始め、5歳でTV番組に出演、7歳でリサイタルを開くのである。近所のクソガキが猫ふんじゃったに毛が生えたような曲を披露するピアノの発表会というレベルではない。モーツァルト、バッハ、ベートベン、シューマンという、ガチ・ジャーマンコンポーザーズ(どうして英語!?)のレパートリーに第二部では自作曲までを披露するという変態ぶりである。かく言う私は33歳にもなるのにリサイタルなんてやったことないし、そんな事をやったら失禁しそう 涙
Youtubeですずきゆゆうたのようにライブ配信で猫踏んじゃった耐久10時間演奏なら挑戦できるかもしれない。皆すぐに離脱するだろうけど・・・
てへへ( ^ω^ )ニコニコ

何が言いたいかと言うと、彼はジャズピアノの歴史上最もクラシックが上手く、ピアノが上手いのである。著者が数えるだけでも彼はクラシックのアルバムを17枚リリースしている。バッハの平均律クラヴィーア曲集を評価するクラシックの批評家もいる位だ。ちなみに私が大学で師事したクラシックのピアノの先生Bruce Baker氏はこのアルバムを嫌いだと言っていた 笑
しかし私のような素人レベルのクラシック演奏家には、非の打ち所がないくらい上手い。解釈も適切で、自然な演奏ながら、彼の洗練されたピアノの演奏が際立っている。

さて、このクラシックのピアニストとして優れているというのは彼のピアニストとしての最大の強みの一つかもしれない。何故ならクラシック音楽を通じて得られる技術は計り知れない。ピアノタッチ、ハーモニーのバランス、早いパッセージの正確さ、ピアニッシモの美しさと、割れない壮大なフォルテッシモ..etc ペダリング一つとってもそこには哲学がある。

よく超絶技巧系のピアニストとしてアート・テイタム、オスカーピータソン等の名前が挙げられるが、残念ながらキースの比ではない。キースは超絶技巧をひけらかす事はあまりないが、テクニックが凄いのはピアノの音を聞いた瞬間に分かる。

イチローは大リーグのオールスターズのホームラン競争にも声がかかる程、
ホームランを量産できるバッターだという事は世間ではあまり知られていない。しかし、彼は長距離打者を目指すのではなく、個人の記録やチームの貢献、自分の役割を意識して、確実に塁に出る上位打線の打ち方をしている。もっと分かりやすい例で言えば、著者がモテないのも、女性にモテないのではなく、女性と付き合う時間をピアノに費やして、将来有名になってお金持ちになり、佐々木希ちゃんのようなかわいい女の子に貢ぐためである。←と負け惜しみを言ってみる :;(∩´﹏`∩);: 涙

話はそれてしまったが、彼の音楽がクラシックから影響を受けているのは、彼の演奏の髄所にみられる。特に、奏法に限って言えば、レガート奏法が独特で、速弾きをした時の、まるで管楽器かのような繋がるフレーズと息遣いは圧巻である。これはバッハのような作品でノンレガート奏法を習得したから出来る技である。

インプロビゼーションに限って言えば、バッハのような対位法を用いる事が多い。左手と右手が完全に独立しており、交互に会話するかのような演奏を出来るのも、クラシック音楽から得たのではないかと思われる。

他にも彼のクラシックからのインスピレーションはキース独特の幻想的なイントロだろう。勿論、曲にもよるが、静寂で神秘的な演奏を聴いていると
フランス後期ロマン派の作曲家フォーレ、サティ、サラサーティ(コットン100!?(*^▽^*)←言ってみたかった)等にも影響を受けていると筆者は考える。

これが例の私が高校二年生の時に聴いて衝撃を受けたCDである。一曲目のMy Funny Valentineを聴いた時に、思わずCDのジャケット裏を二度見してパーソネルを確認したくらいだ。何せピアノトリオなのにピアノの音がしない。え、これピアノの音?と思ったくらい美しい。それまでのジャズに持っていたイメージが激しい音とともに(あーんいやーんばかーん♡)崩れ去った。こんなにも美しいピアノを弾くジャズピアニストがいるのか。今日は僕が初めて聴いて感激したキースのCDを紹介して締めようと思う。長文読んでくれてありがとう。

【続く】

P.S 
当初一回で完結するつもりだったが、キースにかける思いが熱くなるあまり、あと話が脱線し過ぎてしまい、長文となってしまった。(;´・ω・) 2・3回に分けたいと思う。次回号では、彼の学生時代・プロとしての駆け出しの時代に焦点を当てて解説していきたい。迄ご期待!(*^▽^*)

参考文献
・キース・ジャレットの頭のなか (著:中山 康樹) 
・Keith Jarrett: The Man And His Music(著:Ian Carr)
ジャズピアニスト 二見勇気
Youtube - Yuki Senpai
Instagram - jazzpianosenpai
Twitter - 天才ピアニストゆうこりん ❤


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