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欲望希望夢や将来を売り買いすることについて

タカハシ ‘タカカーン’ セイジというと、まずは“無職・イン・レジデンス”の人であって、そういう人が画廊で何かやるとしても、いわゆる「美術」にはなるわけなかろうと思ったら案の定。場所によってジャンルが規定されない方が面白いからこれは正解だと思う。

“無職・イン・レジデンス”を知らない方は、ここに集められたレポートを読んでいただくとおぼろげにわかってくると思うのだけど、多分タカハシ氏は「場」や「状況」を作る人。モノを作る人じゃなく。だから、そこへ行って(今回は大阪ミナミの複眼ギャラリー)何かが見られると思っても肩透かしを食っちゃうはずで、したがって「本人在廊日のみオープン」という形に展覧会の日程が変更されている。一度展示物を撤去した上でギャラリストとともに設営された「ブース」は、それなりに居心地がよくて、昼寝とか読書とかボーっとするとか、それこそレジデンスしたい気分だけど「美術」を求めて来た人は落胆するだろうな。

そこで、本展の中身ともいうべき「やってみたかったことを売ります買います」を鑑賞する、あるいは参加することになる。ここでもまた“無職・イン・レジデンス”を参照したくなる。一体、このインパクトある企画名に対して、どれだけの人がどれだけのことを思うのか? 私は長らくの間「哲学的な思考実験」か何かだと勘違いしていて、まさかタカハシ氏が「身銭を切って無職の人を住まわせて生活保障をする」という具体的な行為だとは思ってもみなかった。それは、タカハシ氏の日本語の使い方にけっこうな癖があって、いくら説明してもらっても聞く側読む側がミスリードしてしまうからなんだろう。もちろん、そこが魅力である。

今回の「やってみたかったこと」が、なぜに「やってみたいこと」のように現在形じゃなくて過去形なのか? それって自分の欲望希望夢や将来を、あらかじめ失われたものとして放棄してるみたいじゃない?と訊いてみたところ、過去形ではなくて英語の現在完了形(継続)に近いにニュアンスらしい。つまり「(ずっとやってみたかったけど)いまだに実現していないからこれから実現してみたいこと」で、実施の意思と希望がある想いを売り買いする、ことらしい。

自分の意思と希望をタカハシ氏に売る契約を結べば、その期間本人はその意思と希望を実現できなくなる。実現したり、わからないだろうと思ってコッソリやっちゃったところを見つけられたら、契約違反として対価を支払うことになる。反対に、その場に展示されているタカハシ氏の「やってみたかったこと」をこちらが買い取ることもできる。これについてもツッコミどころは満載で、たとえば「ホシガメを飼ってみたかった」に対しては「だったら飼うたらええやん!」と半笑いの反感が体内から溢れ出しそうだ。それについては、やはり作家本人と「なぜホシガメ」なのか「なぜいままでやれてないのか」「これを私が買ったらどうなるのか」語り合うところに妙があるので、ぜひとも作家と対話してみてほしい。実際に売買契約を結ぶ際にも、契約書のフォーマットに決まったものがあるわけではなく、その文案をタカハシ氏とともに練るのが作品への参加であり鑑賞だといえる。

どちらにしろ、私は自分の欲望希望夢や将来、つまりは「したいこと」を、たとえ一定期間(1か月など)でも他人に売る気はない。だからいったんはブースに腰掛けて展示されているテキスト類を見ただけで画廊を後にしたのだけれど、私と入れ違いに入った人が結んだ契約書をfacebook上で見た途端、どうにも参加したくてウズウズしてしまった。ふむ、どうやったら、私はこの「悪魔の契約」に参加することができるだろう?

私は、自分の「死」を売り渡すことにした。

我ながら名案だったので、会期中(作家在廊日)展示されているであろう私の契約書コピーを見ていただきたい。2016年5月3日まで。


タカハシ ‘タカカーン’ セイジ個展「やってみたかったことを売ります買います展」 FUKUGAN GALLERY

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