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cafe wpao vol.213 滋賀県、朽木古屋、六斎念仏を見に行く

YukoNexus6
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2018/08/13 Monday

朽木古屋へ向かう。驚いたことに、山道がまったく怖くなくなっていることに気づく。フィリップちゃんと冬のさなか、飛騨の氷点下の森へドライブ(雪道!アイスバーン!)したことで、山道ドライブ力がだいぶついたんだな。ありがとう、フィリップ!

S大学の学舎にチェックイン。管理人の西川さん、とてもいい方。しばらくしてタカハシくんがやってくる。Ugh師のお葬式の話など。

休憩所に向かう途中で、榎本さんと立ち話。映画一本分ぐらいの。徐々に日が傾くなか、私の相槌には、ずっと憎んでいた父方祖母の上方言葉が降りてくる。榎本さんの語りは、ここらのお年寄り皆そうだが、愛荘町の聞き書きと同じ滋賀の言葉。湖を挟んで対岸なのに、同じ言葉。細ちゃん曰く「京都からの距離が同心円状に広がっている言葉づかい」なのでは、と。 http://www.shc.usp.ac.jp/aisho/

暦とリンクする京大阪の献立(今日はトロロの日ぃや。明日はヒジキの日ぃや)は、ここにも習慣としてある、と。「昔は娯楽がなかったから、祭りが楽しみで」とおっしゃっているが、なかなかどうして、相当盛りだくさんな毎日だったと拝察する。様々な講(念仏講とか)と、神社・寺の行事、日々の決まりの献立。。。そんなことを行うだけで、もう目が舞うほどであったのではないか。毎日の畑、田んぼ、山仕事、いまよりずっとずっと手間のかかった家事、クルマでも往復1時間半はカタい市場への買い出し。。。なんと多忙な日々だったのでしょう。

「神さん、仏さんに祈ることばっかやったねぇ」と榎本さん。曹洞宗における偈(食事の前に唱える)は、クリスチャンの食事の前の祈りと同じやなぁ。。。って思う。榎本さん西川さん他、この地の人々は若い頃京都の街中で仕事をしていた人が多い。だからかな? 田舎のおじいさんとは思えない粋なこしらえの人ばかり。作業着の腕貫の可愛らしさ、長靴、スラックス、腰にさした草刈り鎌。六斎念仏の稽古に来る時は、すっかり着替えて、おしゃれなポロシャツにズボンのコーディネイトなど、なかなか真似できないよ。髪も髭もきれいにされている。半ば都人だな。

そして、ちょいちょい「ここ、まだ平安朝なんちゃうか?」と思う。榎本さんの杉苔とフキに彩られた前庭には、朝顔棚があるのだが、それが竹でできている! この人、断じてホームセンターで買い物しない人や。家の前の農業用水の関は、彦根あたりではアヤハディオなりで買ってきたプラスチックか金属の柵がかましてあるのだが、ここは自然木がうまいことかまされている。肥料も、刈り取った草を発酵させたもの。600年ごしの六斎念仏を継承している人が、1000年超えの習慣を守っているのも、ありかな、と思う。

休憩所で手早く夕飯。私と武藤さんの分のそうめんを #飯スタント 。そうめんにも関東風、関西風がある。それぞれの流儀、それぞれの良さ。
玉泉寺で練習を拝見して、宿舎へ帰る。静か。ひろーーーい宿舎。同宿はシンクに滞在中のカナブンさんだけ。鳥と虫の声しかしない。なんだか旅かえるの気分。

持ってきた「新潮 7月号」を読み始めたらハマった。岡田利規氏の「NO THEATER」脚本全文が目当てだったんだけど、結局滞在中に古川真人の「窓」を読み切った。相模原事件へ、思いをいたす小説。

読んでいると、ちょいちょい、なにかの気配がして見回す。たいていは虫や、ボイラーの響なんだが、まわりには生き物がいっぱいいるのだし、お盆やから帰ってきてはる人らもおるやろ。夜は静かで、賑やかだ。



2018/08/14 Tuesday

鯖サンド #モーニン んま!
実は朝ごはん二食目。最近、強烈に腹減って起きること多し。一食目は、マニラでもお世話になった辛ラーメン。
脳を覚醒させる山道ドライブを45分、電波の通じる市場に来た(とたんに眠気がさす)。

てんくう温泉で朝風呂とシャレる。

「風呂入る時、肩にひょいっと、うまいこと手ぬぐいかけはるんや。せやから、肩が凹んでんのわからんかったんや」—父方の祖父は小児麻痺を患ったせいで、肩が変形しており、それでは銃をかまえられないというので徴兵されなかった。が、仲人からそれを知らされていなかった祖母は「つかまされた!」という怒りを終生持ち続け、祖父を愛することはなかったと思う。
私が温泉に入る時、さりげなく左胸にかける手ぬぐい。祖父のテクニックに迫っていると思う。

古屋へと帰る途中、川遊びする人々が羨ましかったので、私も。。。いい感じの渓流の河原に寝そべって(足はせせらぎにつけて)、道の駅で買った鯖寿司をほおばる。視界には木々と空と雲のみ。極楽。

そうして、夕刻、六斎念仏が始まる。
昭和11年撮影。。。とキャプションを入れても納得できそうな写真を撮った。仏壇、床の間を整えたお宅の縁側に揃いの浴衣の人々が腰掛けている。若いアーティストたちと、後期高齢者のお年寄りと、息子や孫世代の継承者と。。。

お仏壇と床の間が隣り合う部屋。鴨居に、先祖の遺影。紋付を着た日本髪のおばあさんや、軍服姿の男の人が、自分にどんな関連があるのか? お盆の岐阜提灯が灯る薄暗がりで、それらを見るのは、なんとも恐ろしく、このような古臭い日本家屋は消え去って、明るく清潔な洋館に住みたい、と夢見ていた小学生の頃を思い出した。

三人で、あるいは六人で、親と子に分かれた舞手が太鼓を降る。操るような鉦の音と、耳について離れぬ念仏(勢至、観音。。。勢至、観音。。。)は、武田氏の透き通ったテノールと、600年の月日が錆びたような榎本さんの節が子と親で絡まり合うようで、うっとりする。全部で7件のお宅を回る。移動の道中も楽しい。空には星。山にひっかかるように沈んだ細い月。大きな火星、夏の大三角、北斗の柄杓、北極星、銀河、サソリの赤い心臓。。。

玉泉寺で打ち上げ。太鼓の皮を急遽張り替えた新田さんは、江州音頭の音頭取り桜川さんの弟子だったと、弟さんに伺う。京都では滋賀県人会が盛んで、夏には江州音頭でえらく盛り上がるのだ、と。

「鈴愛、おしえたろか。人間ちゅうのは、大人になんかなれへん」という仙吉じいさんの言葉(録画で見る「半分青い」)に、朽木で会ったおじいさんたちのシャンとした背中や熱心な話し振りを思い起こす。子どものようにワクワクと祭に向かう。鎌を操ってあっという間に草だらけの土手に道を作る。年上で好みのタイプの男性っていうと、朽木のおじいさんたちと、釜のおっちゃんらやな。

2018/08/15 Wednesday


昨夜の六斎念仏も良かったのだけど、今朝の河原仏にはグっときました。遊びの原初の姿を見た思い。川、橋、灯篭、六地蔵は五輪塔の形。でも、どうしてお地蔵さんて六体セットなのかしら?
榎本さんによると、送りのお供えはお赤飯に蕎麦の新芽のおひたしにアカザをおかずに添えたもの。川から送られるものは、途中休憩するときにそれを食べるのだ、と。だから家でも「いまごろ。。。」と想いながら同じものを食べ、夜には流しに行くのだ、と。
彼岸此岸に分かたれていても、想いが致せる、というの。それを行為で表すのはなんというかとても落ち着きます。

上記は、二年前に河原仏を見た時の覚書。湖東の川地蔵をはじめ、全国川のあるところ、こうした風習はあるらしい。偶像崇拝、お人形さんごっことも言える見立て遊びみたいなものだけど、それを仏さんに捧げるために、懸命に美しく仕立てる。

神仏に捧げる。。。という行為は「自分のため」の所為ではないから、他者のために、と、気持ち丁寧に行うことになる。怠けそうな気持ちをふりたてて、少しでも良いように、と心を込めて力を尽くす。その結果が、まわりまわって人間(自分)のためになるのだ。河原仏を作ることは、川と河原を美しく保つことになる(河原へ降りる道も、おじいさんが鎌を操って草を刈り、あっというまに整えてくれた)。

いやぁ、いいものを見ましたね。夜のドライブで鹿にも出会ったし、久々な人々、お初な人々にも出会えたし。よいお盆を過ごしました。ありがとうございます。

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