「ペドフィリアの社会的責任」というゾッとする言葉
この記事を投稿する前に友達の姉貴がオンライン授業可能なPCを使わせてほしいとメーリスでSОSしてきた。でうっちが応じたんだけど、うちのアパートの部屋のPC、グーグルに「ラブドール」「カラオケ店 公然わいせつ」「児童ドール」「医療施設 ペドフィリア」と検索履歴に出ていたらしく、「ファッ」と声が出ていた。
さて、小児性愛者がラブドールを使用する事について議論が吹き上がっている。今Twitterを見てみると「児童型ラブドールの製造や販売、流通、輸出を禁止してください」という署名活動も行われているらしい。さらに「児童型ラブドールを購入してみた」というブログがアップされ炎上したらしい。もう削除されているので私は見ることは出来ないのでブログの内容には言及しない。
ラブドールの規制派が訴える点は、ネットで見る限り以下のように集約されるようだ。
①LGBTは同性結婚という形で合法的に結ばれる事も可能であろうが、ペドフィリアは自分の性愛を実行したら即アウトである。だから社会がその存在を容認してはならず、その嗜好を満たす児童ドールの存在などもってのほかである。
②児童ラブドールを喜ぶ奴は、そのうちそれじゃ我慢できなくなって、実在の児童に手を出す可能性がある。だから禁止しなければいけない。表現の自由を理由に「漫画やアニメやビデオに触れたら、その主人公みたいに『拳王様』や『24歳の先輩』になるわけではない」という人間がいるが、小学生を襲う事は誰だって出来るのだ。その社会的責任を考えればドール購入を表に出しちゃいけない事など、博物館に消防車がある事よりも明らかだ。
➂とにかく小児性愛者の存在そのものが子供にとって危険だ。マンションの隣の部屋に小児性愛者が住んでいたらと思うと母子は安心できない。性犯罪被害者の子供から見れば、小児性愛者は治療センターの閉鎖部屋で治療か「最終的解決」のどちらかを選ぶべきだ。彼らの存在そのものが社会における性被害者の少女の尊厳が尊重されていない証拠である。ドールだけではなく自由権を奪って社会の為に隔離すべきだ。
と、大体この3つに分けられるが、はっきり言ってどれもゴミ意見だ。敢えてまとめれば「ホモはいつも男のケツを発展場のトレーニングジムとかで狙っているんだろう」レベルの差別認識を「LGBTとペドは性愛の実現が可能かどうかで認可が分かれる」レベルのお題目で肯定しちゃっているのだ。LGBTに対しても失礼だし、本当にこいつらリベラルかよって思う。性犯罪撲滅に関して、何の貢献もしないだろう。
これら3つに反論する前に、一言。私はこの問題を「表現の自由」の問題とは考えていない。もっと深刻な問題だと考えている。この差別意識を放っておいたら、行きつく先は「世の中が平和になり、健常者が人間を取り戻せるように」とあの壊れた金髪笑顔が障害者施設に乗り込んだ…あの事件だ。
そのうえで批判していく。
①に関してだが、まずここではっきりさせておく。LGBTの人権が認められるべき理由である。これは自分の性的アイデンティティを尊重されるためであり、同性同士の性交渉や結婚は基本権利を構成する重要な要素であって、権利を尊重してもらうための究極条件ではないのである。もっとわかりやすく言えば「誰かと性愛を成就させようがしなかろうが、LGBT当事者の尊重される権利は普遍的なもの」である。性愛を成就させるつもりのない一人が好きなLGBTだっているし、「じゃぁ彼らの性指向を尊重しなくていいか」なんて事にはならない。
私は「LGBTとペドフィリアの違いを『性愛を成就させる事が認められるか否か』で分けられる」という言説に傷ついているLGBT当事者が多いのではないかと憂慮する。LGBTというのは物凄く複雑でいろんなパターンがある。ざっと分類しただけで60以上はあるらしいし、いろんな要素が組み合わさったボーダーの人もいて、恐らく自分のこの社会規範で成就させられない恋をしている人だっているはずなのだ。こうした悩んでいる人たち、認められない恋を心の糧に糧に頑張っている人たちに対して、「治療を受けろ」だの「社会的に認められない」と罵倒するのが正しいのか? それとペドフィリアの排除は同じではないか。
②についてだが、ネットを見る限り、ペドフィリア(子供を性的に見ちゃう人)とチャイルドマレスター(性的加害をする人間)の区別がついていない人は、さすがに少ないという印象は持った。ただし、「ペドフィリアはチャイルドマレスターの予備軍」と考えている人間は多い。つまり「女児や男児を性的に見てしまう不道徳な変態性欲の持ち主と言う時点で倫理的に破綻した異常者であり、何かのきっかけに(オンラインの二次元エロコンテンツやラブドールなどで)その異常な面を高ぶらせ、やがて女の子を襲うよな」という言説である。
それは実際問題正しいのだろうか。アメリカの研究などを見ると私たちがイメージする「ペドフィリアとチャイルドマレスターの関係」はどうも違うみたいだ。ちなみに図は資料に基づき私が作った。
簡単に言えば、「児童への性加害者の7割がペドフィリアではない」という事と「ペドフィリアの大半は子供を襲う事は悪い事だとわかっており、それで自分の性嗜好を制御している」という事である。さらに最近の研究では「ペドフィリアの犯罪率は取り立てて高いわけではない」事も判明している。
医学的にも社会学的にも言われているが、「特定の性指向が性犯罪へとつながる事はない」というのは凄く当然であり、それがわからない専門家は基本のキの字もわからないキ印であるとされている。性犯罪につながるのは、「性依存の強さ」「認知のゆがみ」「支配欲」などであり、簡単に言えば「ホテルに連れ込んだ就活女子大生が嫌がっていてもやっちまえばОK」とか「レイプ被害者があんなに会議室借りて記者会見やって堂々と主張なんて出来るわけない」とかいう…あれだ。
そしてここでもう一度言うけど、「性依存」「認知のゆがみ」「支配欲」はペドフィリアが特別に異常に強いわけではない。逆を言えば「児童ドールの存在がペドフィリアの犯罪を抑制している」というラブドール擁護派の言説は嘘である(あるセンセが「俺が診てきたチャイルドマレスターは9割が児童ポルノで覚醒した」と言っているようだが、児童ポルノは裸にされた子供がいる時点でそれを見た奴は既に犯罪者であり、児童ドールは児童ポルノではなく、児童ドールが犯罪を誘発するというデータは一切ない)。ペドだろうが何だろうが「やる奴はやる」「やらない奴はやらない」のである(そしてやる奴は恐らく計画的に関係性を巧妙に利用して犯行を行い被害者を傷つける)。
さて、犯罪傾向も何もない人間から児童ドールを取り上げることは「お前は犯罪予備軍だからお前の好きなものを犯罪を犯さないように取り上げてやる」という事である。似たようなやり方で、様々なマイノリティーがこの社会でどれだけ傷つけられてきただろうか。
ペドフィリア当事者は実は社会で物凄い苦しみ、自殺、安楽死志願者も多い事が分かっている。なんで苦しんでいるか。「女児を襲えなくて苦しい。ああ、ロリロリしたい。我慢が出来ない。結婚してマンションの部屋のベッドでむふふな生活をしたい」ではなく「自分が社会において許容されない存在であり、犯罪予備軍であり、排除されても仕方がない」という苦しみである。
彼らからドールを取り上げる事がどんな影響をもたらすのか、ちょっとの想像力で考えてみるべきではないだろうか。最も「ドールなんて持っている奴は気持ち悪いので、どうなろうが関係ないし、氏んでくれてОK」という人もいるかもしれないが、まずそういう人こそ異常者ではないか。
さて、ブログを見ている方が「こいつ、性指向と性嗜好の区別ついてないな」と思っているであろうところで➂への反論である。
ペドフィリアが「性嗜好(趣味)」か「性指向(性的主体)」かについては実際のところ議論は分かれている。ただしペドそのものが「性依存や認知のゆがみ」ではない事は確かだろうとは言われている。だって大半のペドフィリアは「自分が子供を襲えば相手は傷つく。罪だ」と善悪の区別がついているし。「同性愛者にもペドいる。異性愛者にもペドがいる。だからLGBTではない」という人もいるが、LGBT自体「性同一性障害で女性の性自認だけど同性愛者で女が好き」という人もいる。LGBTは複合するものである。
さて、問題は医療機関がペドフィリアをどのように治療するかだが、実際に「治療」出来るのはペドフィリアそのものではなく「自分が児童への性欲を我慢できず、つい女の子を襲ってしまう」という性衝動や認知のゆがみを矯正するものである。一部のNPО施設では「子供がロリに興味を持っている」という家族に対して会合などで話をする機会を提供しているようだが、あくまで家族であって、犯罪を犯していない本人に治療を強制する事は出来ない。
もう一つ、社会の安全の為にペドフィリアからドールを取り上げるというやり方は、実は物凄くわかりやすくて簡単で、効果がない。多分ドール廃止派は「性暴力が世の中に存在するまでには何かツールがあり、そのツールを統一規範でぶっちぎれば、この世から子供への性欲もなくなり、子供たちが学校やマンションで性暴力を振るわれる事も永劫なくなる」という簡単な思考なのだと思う。何でこんな簡単な規範にあれこれ言い訳するんだ、子供の安全がかかっているんだぞ…そういう心理なんだろう。そういう思考を持っている大人は、あっさりモノホンの性犯罪者に騙される。子供との関係性を利用し、被害者を孤立させることになれた計画的な奴から、子供を助けてあげることは出来ない。
子供にとって親に性被害を報告する事は物凄いリスキーなんだぜ。子供はもしかしたら親に捨てられるかもとか、物凄く怒られるかもとか思うわけだ。自分の被害について怒られる事は子供にとって全てが引き裂かれる地獄なんだよ。つまり大人は子供にどれだけ信じてもらえるかが重要なわけだ。勿論加害者のやり方が巧妙で、いくら親が子供を愛しても子供が相談できないケースはある。だが「あんな気持ち悪いドール持っている奴は犯罪予備軍だから社会から排斥すべき」なんて自分の世界に入っている親を子供が信用すると思うか? 子供が「自分も気持ち悪い側の人間」と思ってしまう可能性もある。
性暴力を撲滅していくには、まず自分の主義主張をそっちのけにして被害者の子供の気持ちを聞き、自分の怒りや憤りを優先せずに子供の混乱や恐怖に寄り添い、セカンドレイプを許さず、性被害者の為に団結して、根本となっている社会的な認知のゆがみから変えていく必要がある。それは凄い苦しい事だ。「ドールを持っているだけで社会的に排除していい」なんていい加減で簡単な差別の再生産に走る大人に、子供はその覚悟を見出すことはしない。
「児童ドールを合法化する事は子供への性暴力を肯定する事」という人にも聞いてもらいたい。
私が主張しているのは、心の中で児童に性欲を持ってしまうだけの善良な人間が、自宅で児童そっくりな人形を代替的に愛でる権利を守る。ただそれだけである。私は児童への性暴力は今後とも一切許さないし、児童の安全と対立する概念ではない事はデータが証明している。私が主張したいのは、彼らが個人の、あるいは同じ志向同士のプライベートな空間で、ペドフィリアの人が安心して児童とは関係ない場所で性主体を維持する権利を尊重する。それだけである。
「ペドフィリアの社会的責任」というキーワードに、私は悍ましさを感じる。彼らは既に社会的責任を果たしている。まるで彼らが子供が安全に暮らす権利を軽視しているような言い方はするべきではない。これは表現の自由の問題ではなく、人間そのものの排除の問題である。特定の傾向を持った人を犯罪予備軍として扱うという問題だ。
…
ただ、まぁ、Google画像検索かけたけど、凄い気持ち悪いなwww。私のVVGおもいっきりにヒットするwww ただ愛でる人にとってはいいものなんだろうなとは思った。
追記:「ペドフィリアを排除すべきではなく、公共空間に出したことを怒っているんだ」と言っている人が多いけど、それはその2を参照。