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高校までの紆余曲折とした(と思っていたのは親だけだった)道①

 この春はハルの大学受験と同時に、アキの高校受験の年でもあった。うちはハルとアキの年の差が3歳、アキとナツの年の差が6歳ということもあり、このように「同時に来る」めぐり合わせの年が数年に一度ある。3年前は小、中、高の入学(それに先立って卒業も)が重なった。

 何事も経験というのは心強いもので、ハルの高校受験を経験していたので、それよりはコツコツまじめで成績もハルよりよかったアキに対しては、入れる高校はあるし、どこでも好きなところに行ってくれればいいやと思っていた。

 逆に言えば、私がアキの高校受験に熱心になる理由は特段なかった。本人は近い高校がいいというし、何か特長のある私立に行きたいというのでもないし、そうするとハルの時にも見学に行った都立高校の中から選ぶことになる。東京というのは高校の数がすごく多い分、成績に応じて輪切りにされて自動で割り振られるような状況である。なんだかな。全然魅力的じゃない。実際のところ、3年前に見学に行った周辺の都立高校を思い浮かべても、似たり寄ったりに感じてしまう。

 そんな6月のある日、なぜか以前訪れた隠岐の島のことを思い出した。その後、外からの人間を積極的に受け入れて島起こしをしていると何かの本で読んだことがあった。そこの高校ってどうなんだろうか?

 少し調べてみると、D高校は全国の公立校でもかなり早い時期から県外生を受け入れて多様性を重視した教育を行っていることがわかった。アキは(ハルと違って?今となってはそうとも言えないのかもしれないが)わりと独立志向が強くて、少なくとも大学に行ったら一人暮らししたいと思っている。この辺の地元の高校に行くよりも広い世界に触れられて、寮生活もできていいのではないか?私の中で勝手に妄想がふくらんだ。

 アキに、寮生活なんてどう?ときいてみる。本人は想像もつかないようで、いいとも悪いとも言わないが、悪いとも言わないのをいいことに、じゃ、見学とか言ってみない?と持ち掛けた。ちょうど実施された県外留学の説明会が東京で開催されたので、とりあえず私一人で行ってみた。D高校の人気はダントツな感じだ。現地での1泊2日の高校説明会ももうすぐ定員に達してしまうという。もうこれは申し込むしかない。

 「一人で暴走している。アキはそういう性格の子じゃない。」つれあいに言われる。それはそうなんだけど、実際みてみないとわからないし。7月下旬、隠岐の島へ。アキ、ナツ、私の3人で飛行機に乗る。(飛行機、何年ぶり~?!はしゃぐ私。)つれあいは後から別ルートで合流。

 私にとっては数十年ぶりの隠岐の島。雄大な自然に圧倒される。ナツも放牧された馬と戯れて喜んでいる。こんなところで暮らしたら人生観変わるだろうな。その後D高校の説明会、授業体験に参加。もう、近所の高校とは全然違っていた。とにかくしゃべらせる。人と関わらせる。課題を自らみつけて、正解のない答えを考える。「なぜここに来たのか隣の人と話してみてください。」「みんなの前で話せる人は話してみてください。」アキなんて、親に言われてきただけなんだけれど、それはそれで、そう言えばいいのに、もうどうしていいかわからない様子になっている。模範解答をするような子もいて、ますます「もうやだ」オーラが出ている。

 私が中学生だったらな、来たかったかも、と思いながら、アキの様子をみて、やはりこれは私の暴走で、妄想に終わってしまったことを自覚した。私とアキは別の人間だ。親が何かを押し付けることはできない。ただ、違う世界もあるよと伝えたかった。それを知らなければ、行きたいとか行きたくないという判断もできないわけで、ここに見学に来て、それでいやと思うなら、もう私が口出しすることではない。

 でも私は家族でここに来られてよかったし、D高校を見学できてよかった。私はこの年になるまでの何十年かがあって、自分の意見をいう大切さとか(今でも苦手ですが、なるべく意識しているという程度)、多様性のある社会を目指すことの価値とかを大事に思っているけれど、アキはまだこれから。今後の人生でいろいろ経験することで、自分にとっての大切なことを学んでいくのだろう。ただ、今の公立の学校が、その時々の新しい言葉で教育を語ってはいるものの、結局画一的な人材の輩出機関であり続けていることは残念に思う。小・中をそういう環境で過ごして順応してしまっている子がいきなりこういう高校というのも、なかなか難しい。せめて学校の価値観は色々な価値観の中のひとつにすぎないことを学んでほしいと(だから違った環境に身をおくことを勧めてみた)、いつまでも反抗的な母親は思っているけれど。

 

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子どもたちの受験の年に、とても印象に残った一冊。著者と息子さんが元底辺中学校に見学に行くシーン、著者がやたら張り切っているのと対照的に、息子さんがひいている場面がある。隠岐の島に行った後でこの本を読んだので、その時の自分とアキにものすごく重なって、何度読んでも思い出し笑いをしてしまう。めんどうくさい多様性の中に身をおくことの大切さを改めて教えられた。この世界は複雑さに満ちている。たったひとつの正解はない。不安の中で、ともすれば人間は安易にわかりやすい解に辿り着こうとするけれど、やっかいな多様性を身をもって経験していれば、この世界がそう単純なものでないことを実感として知ることができるのではないだろうか。

 

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