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2001年夏、高校1年生の私はアメリカにいた

今日は私の原体験の話

高校の研修旅行でBoston、NYと観光し、ミネソタ州のSt.Paulで2週間ホームステイをした

Bostonは学生が多く住む古き良き街で(日本の京都のようなイメージ)
レンガ作りの建物が並ぶ街並みの美しさに感動した

世界の中心地NYは、高校生にとっては刺激が強すぎて、
ビルの合間に見える狭い青空と、常にビルの影が付きまとう独特の薄暗さが印象的だった
バスの中からでは最上階が見えないほどの高層ビル群を見上げながら
一際高いビルの前を通った時、「ここには登らないんですか?」と引率の先生に聞いてみた
そしたら「ここはテロがよく起こるから登りません」と言われた

St.Paulは第二の故郷、ホストファミリーは第二の家族とも思えるくらい
私には大切な時間だったし、一生忘れられない出会いだった

2週間のステイの中で、どうしても忘れられない出来事がある

それは、St.Paulに来て2~3日目
ホストファミリーに連れられ近所のホームパーティに参加したときのこと
私はほとんど英語が話せず、とにかく緊張して、話しかけられるのを待っているしかなかった
パーティーにいた人々は東洋から来た若い女の子に興味津々で すぐに話しかけてくれた
名前を聞いたあとは、「what is your nationality?」(国籍は?)
あるおじいさんにもそう聞かれたのでI'm from Japan.と答えたら、
いきなり私の手をつかんで、Thank you! Thank you!!と何度も言う
ん??なぜ???
私がきょとんとしていると、周りにいた人が教えてくれた
「He is a huge fan of baseball!」(彼は熱狂的な野球ファンなのよ)
それでも、??である
すると、彼は言った
「イチローは日本人だろ?イチローが大リーグにやってきて本当に野球がおもしろくなったんだ。
イチローをアメリカに連れてきてくれてありがとう」と

2001年はイチローがシアトルマリナーズに移籍した年で、1年目から大活躍していた
日本では大きなニュースになっていたけれど、アメリカでどう報道されているか知らなかったが
こんなにもアメリカの人々に受け入れられているのだとわかって、感動した
彼の活躍を、ただ日本人であることしか共通点のない私に感謝してくれるなんて!

イチロー絡みの話はもう一つ
ホストファミリーと地元・ミネソタ・ツインズの試合を見に行ったときのこと
後ろに座っていた親子に話しかけられた
どこから来たの?と聞かれ、日本です、と答えると
「イチローの国だね!イチローはすごいよね!」
幼い少年が興奮気味に言ってくれた
そして、めったに球場に来れないだろうから、と、親子が試合の前に球場に来てもらったというツインズのピッチャーサイン入りのボールをくれた

一人の人間がこんなにも人の心を動かし
日本人や日本のイメージを良くできるんだ
私は本当に日本人であることを誇りに思えた

ホームステイをしていたホストファミリーは海外に一度も行ったことがない家族だった
私が帰国するとき、メッセージをくれた
「あなたと一緒に過ごして、日本という国のイメージが変わった。これからも日本のことを知りたいし、いつか美しい日本に行きたいし、あなたの家族にも会いたい」
イチローのような有名なスポーツ選手でなくても、日本のイメージを変えることができるんだ
外国の人にとって、私が日本なんだ、と気が付いた

実際、私自身も、2週間素晴らしいホストファミリーと一緒に過ごして
いい意味でアメリカ人に対するイメージが変わったし、
アメリカのことをとっても好きになった
アメリカのことを好きになれたのは、間違いなくこのホストファミリーと出会えたから
それから何回かアメリカを旅行しているが、その都度素晴らしい偶然の出会いがあり
行くたびにアメリカのことを好きになっている

観光、食事、ホテル、添乗員さん、
旅行を構成するすべてのものがあって旅行は楽しいものになるが
その土地の印象を決めるのは、その土地で出会った人々
素晴らしい人と出会ったらその土地のことを好きになるし
逆の場合もしかり

私は日本で生活していて、外国人の人が道に迷っていたら率先して助けることにしている
なぜなら、助けてくれた日本人がいたことによって、間違いなく彼らの中で日本のイメージがよくなると信じているからだ

国際化が叫ばれて久しいが、真の国際化、国際理解を成すためには、
人間個々の相互理解が重要である
それぞれの違いを受け入れ、理解し、尊重し合うことで
お互いの国や文化を尊敬できると思う

あの夏、野球場でアメリカ国歌を聞いた
大勢のアメリカ人が、左胸に手をあて、大声で歌っていた
私はその場でどうすればいいかわからなかった
普段は郷に入れば郷に従え、で周りと同じ行動をとる私も
アメリカ国歌を歌うことも、左胸に手をあてることも出来なかった
そして、思った
「私は、日本人なんだ」と

帰国して1か月半後、恐ろしい光景がTVに映し出された
NYで前を通った、あの一際高いビルが攻撃され、崩壊していく様子を見た
大好きになったアメリカが攻撃されるのを見た
真っ先にホストファミリーの顔が浮かんだ
NYから遠く離れているとわかっていても、ホストファミリーにメールせずにはいれなかった

あぁこれが世界と繋がるということか、と思った
私は世界の中の日本で暮らしているのだ
はっきりそう自覚した

あれからもう20年
何かがあるたびに、2001年の夏を思い出す
高校生だった私が感じた気持ちを
いつまでも大切にしたい

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