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敗戦の日

普通に終戦記念日という言葉で覚えていた、8月15日。
れいわ新選組の今日の声明文を読んで、そうか、敗戦の日と言うのかと。
太郎さんらしい、れいわらしいと思った。
戦争は、実はまだ、終わっていないと言うことだろうか。終わったと言うことより、負けた、という意味をよく考えようということで、敢えてこの表現になったのかもしれない。終わって、本当に平和に、その後79年が、本当に良い方向へ向かっていったわけではないのだから。むしろ、目に見えないこと、見えてもマインドコントロールで疑問や懸念を持たないようにしているだけなのだ。多くの人々は、政策として打ち出されたテレビによって、見事にコントロールされてしまった。インターネットが普及して、家庭用のパソコンが普及して、携帯電話がスマートフォンとなって、SNSも発達して、人々が情報を取り入れられるようになってようやく、テレビに支配されてきた自分や親、気づかなかった自分が育ててしまった我が子たちまでその被害者だと気づいているのではないだろうか。
テレビは、真実をきちんと報道せず、しかしそれ以外に手軽な情報収集の手段がなかった時代には、まさかテレビが嘘を流すなんてと大きな声で目をまん丸くして驚くくらい、信じきっていたのだ、みんな。いや、今でも、まだ、一家に一台、リビングというか茶の間にはテレビが当たり前のように鎮座しているのが、日本の一般的な家庭の風景だろう。そのスタイルで何十年も生きてきた世代が、老齢期になってテレビは嘘を流しているから捨てましょうと言われても、お上の通達でない限りは手放さないでしょう。きっと今の60代以上の人たちは、そのままテレビを信じて最後まで行かれるのではないかと思う。いや、別にいいのだ、本当のことを放送してくれさえすれば。でも、力に支配されて、力に都合のいいようにコントロールされた偏った、誤った報道を続けるのなら、もう、電力の無駄だからテレビという媒体自体を、その歴史を閉じましょうよと、その方向で声を上げていきたい。
それにしても、どれだけの人間の数、その人生が、テレビによって犠牲になったのかと思うと、気が遠くなってくる。私たちは、自由ではないという現実に、打ちひしがれる。


私自身は、今日は、この8月に奮起して始めた新しい挑戦が、早々に断念せざるを得ないことになり、また失敗体験を重ねてしまったことに、軽く落ち込んでいた。もう、私の人生はそもそも、失敗ばかりなので、流石に大きく落ち込むことも無くなってきた。これは良いことなのかもしれない。失敗は、決して、悪いことを呼び込むわけではない。損をすることでもないのだ。挑戦しなければ、失敗もしなかったと思うが、この本のひと月足らずの出来事で、大きな学びとなった。そしてまた、タフになった。
これは危険だと、早々に気づいたので、深入りして沼から上がるのに苦労する前に、沼の深さを淵で感じた時点で決断した次第だ。私もすっかり慎重になり、搾取されて疲弊し切る前に退散する賢さを身に付けた。

今夜は、福島みずほ先生のインスタライブで、初コメントをさせていただいた。そしたら、福島先生が読み上げてくださって、とても嬉しかった。
避難を迷っていた時、文科省や議員会館に、政府交渉に何度も足を運んだのだが、いつも私たちに寄り添って、お力を貸してくださっていた。感謝しても仕切れない。
先生、覚えていらっしゃるかな。手編みのドイリーを、手紙と一緒にお渡ししたのだけれど、あの時は大混乱の中で、ちゃんとお話もできないままだった。
その後私は母子避難を決めて、地獄のような13年を送ってきた。もう、すぐに13年半になる。
私は、当事者として、地獄の苦しみを味わった者として、このテーマを天から与えられた意味を、何もせずに黙って泣き寝入りして死んではいけないと思っている。
私たち家族が失ったものの甚大さを世に遺す使命を、私は、母親として、我が子たちに見せなくてはならない。最後の教育は、私自身の死であるが、その前に、これが最大の私の親としての責任だと思っている。
何者かになりたかった。しかし、母親になることしか、誇れるものは今のところ、歩いてきた軌跡に残せなかった。残りの時間をかけて、書き溜めてきた記録を整理し、まとめていかなくてはと思っている。今日のこの記録も、いつかの本の1ページになるかもしれない。

福島先生、ありがとうございました。
元気をいただきました。
今日は千鳥ヶ淵での戦没者の慰霊に参加されていたご様子。
暑い中、本気でこの問題だらけの人間社会を見つめ、人々の平和を思い、人生を捧げている本物の政治家の方々には、ただただ頭が下がります。

れいわ新選組は、8月は命に関わる危険な暑さのために、街頭での活動は休止しているようです。人々へのアウトプットを休まず続けてきたから認知度も上がり、本気度が認められて支持者が拡がり、着実に前進してきました。休まずにここまで来たその成果ですが、こんな酷暑では少し休まないと、続きません。次の英気を養うためのインプットの時間としてもきっと有効に使われているはずでしょう。

敗戦の日。

2024年8月15日

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