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当たり前は当たり前に続かない

今朝、私の母方の祖母が亡くなったそう。ランチを食べていたら突然母から連絡がきた。祖母とは恐らく10年近く会っていないのだが、ずっと施設に入っていることは知っていて、”いつか”会いに行こうと思っていた。

訃報をもらったときに、自分が”いつか祖母と会える日がくる”と勝手に思い込んでいたことに気づいた。別に願っていてもそんな日がくるはずもないのに。

祖父が亡くなった10年程前から痴呆が始まり、いろんなことを忘れていってしまったらしい。自分の子である私の母のことも忘れていたようだ。私の母は時たまお見舞いに行っていたようで時々私たち孫のことを気遣っていたそうだ。子供のことは忘れてしまったのに、孫である私たちのことは覚えてくれていたようだ。その話を聞いて、”いつか”これだけ大きくなったよとか元気だよって言えると信じていた。そして、自分の姿を見てくれれば元気を取り戻してくれると信じてやまなかった。これらのことは私のただの夢の中の話で現実化させる行動は何一つしていなかった。

何よりも母のことが気がかりである。母と祖母は親子関係にありながら、ギクシャクしており、その不和がどこかのタイミングで解消されていればと思っている。実は、自分と母も似たような状況にあると私は感じており、どこかのタイミングでちゃんと向き合いたいと思っている。お互いに親・子を選べないけど、でもこの親子になれたのだからそこには感謝で終わりたい。憎しみや恨みで終わることはお互いにとって不幸だし、自分が心から望んでいることではないから。

祖母の葬儀は、母の実家のある場所で執り行なわれるのですが東京に住んでいる兄と私は不参加でと。まさか、最後に会うことさえも叶わないなんて。祖母の最後に会えないことも、母が大丈夫かも心配になる。たまたま父が定年退職を迎えて、ずっと一緒に父がいてくれているはずだから大丈夫だと信じたい。

訃報をもらったときは、おばあちゃん子じゃないしそんなに悲しまないだろうと思っていたが、やっぱり気持ちの整理ができず仕事もままならない状況になってしまった。やらなきゃいけないことがあることは分かっているが、全然手がつけれず。少し気を抜いてしまったら、涙が止まらなくなってしまった。全然気持ちの整理ができず、心のどこかで絶対に起きるはずがないと思っていたことが起きてしまったことが受け止めきれなかった。

木曜日と金曜日に忌引きをもらおうかと思ったけど、休むことでいろんな人に迷惑をかけるし、とか自分が頑張ればなんとかなるし、とか思っていたが、今回はどうも様子がおかしい。友人に相談をしてみたら、ダメ元でもいいから上司に相談してみたら?と。このまま気持ちの整理がつかない状況で働いても周りに迷惑をかけるだけと思い、上司に連絡。そしたら、気持ちを察してくれたのか、明日引継ぎすれば木金は休めるよね?と連絡をもらい、より泣けてきた。休んだからってお葬式に出れるわけではないが、気持ちの整理のために時間を使おうと。忌引きってお葬式のために休むものだと思っていたけど、こうやって故人との別れを惜しんで気持ちを整理する時間でもあるのだなと気づかされました。

祖母の死に直面して、花嫁姿を見せてあげられなかったなぁとか東京で働いていなかったら、お葬式行けたのかなとかこんなに仕事頑張って、どうしたいのだろうとかいろんなことを考えてしまいました。

そして、何よりも当たり前は当たり前に続かないと頭では理解していたつもりだったなと。そう思うと今って自分の理想の姿なんだっけ?とかこれからやりたいことってなんだっけ?とかを考えないとと焦ってきました。せっかく上司も協力してくれて、木金とお休みをもらえることになったのでゆっくり自分と向き合う時間にしたいと思う。

おばあちゃん、最後お別れに行けなくてごめんね。ちゃんとお参りにいくね。

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