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絵を描ける大人になりたかった。

例に漏れず私も小学校くらいまでは、絵を描いたりするのが好きな子どもだった。

でもやっぱり、どっかの段階で「いやいやこんなことやってる場合ちゃうわ」ってなって、子どもながらに娯楽の中でもお絵描きの優先度が下がっていって、いつの間にか、遊びでも落書きでも絵を描いたりなんか一切しなくなった。

中学でも高校の選択授業でも一番好きな授業は美術だったけど、それを本気でもっと勉強しようなんて全く思わなかった。っていうか、美術とかって「勉強できるもの」だって知らなかった。5教科のおまけの科目みたいな認識だったし、もはや検討のステージに上がることさえなかった。

友達から回ってきたサイン帳(懐かし!)にもいつも書いてたからはっきり覚えている。小5のときから、私の将来の夢は「薬剤師になること」だった。

医療従事者っていい職業そうだなっていうのと、白衣を着て働くのがかっこいいなって思ってたくらいで別に家族にも知り合いにも医療従事者はいないし、入院したこともないし、ほんっっとに大して深い意味はない浅〜〜〜〜い憧れだったけど、将来の夢を聞かれるたびにそう答えていた。子どもながらに「いい回答」だとさえ感じていた。だから具体的なことは何も知らないくせに、いつの間にか「私の将来の夢は薬剤師になることだ」って、自分自身にも刷り込まれていってたんじゃないか思う。

その結果、高校生になって文理選択では迷わず理系を選択したし(数ⅡBの時点でもう数学はけっこう怪しかったし、何気に現代文が一番得意だったのに、、)、受験生になってからも薬学部しか眼中になかった。地方で生まれ育って、若くって、幼くって、視野が狭くて世間知らずで、純粋だった。

第一志望だった地方国公立の薬学部には数学ができなくて落ちた。母と一緒にオープンキャンパスに行った私立の薬科大学には合格したけど、なんとなくそこで大学生活を送ってる自分の姿が想像できなくって、国立の後期試験では全くのノーマークだった看護を専攻にして、薬学部志望だったときは自分の成績ではとてもじゃないけど口にも出せなかった、ほんとは大阪で一番行きたいと思っていた大学を、もうどーなってもいいやって感じで半分ヤケクソで受験した。

私は子供のときから非常に現実的な性格だったから、勉強しに大学行くのに全然興味ない学部の専攻でいいだなんて、今思えばあまりに自分らしくない気もする。でもなんとなく学部や専攻とかよりも、行きたいって思う総合大学のキャンパスに通う4年間の方が、自分の人生にとって大きな意味があるように感じた。

そんなこんなで全く看護学に熱意も興味も全然ないまま大学に入学して、「まあでもせっかく免許取ったし数年くらいは働いた経験積んどいたほうがいいかな」って感じで新卒でとりあえず看護師になってから、なんだかんだであっという間に10年以上が経ち、区切りよく違う道に行くチャンスは何度も何度もあったのにも関わらず、私は今も自ら選んで看護師として働いている。不思議なものである。

だからきっと、こういう道を進んできたのは私の人生にそれなりに縁があったからだろうし、たぶんこうするのが自分にとって最善で最良だったんだろうなって思ってる。



「何かを選ぶ」ということは、「それ以外の選択肢を選ばない」ということだ。時間も、お金も、エネルギーも無限に使えるわけではないから。

あんなに絵を描くことが好きだったのに、別に遊びでも趣味でも誰にも見せなかったとしても、ずっと大人になるまで細々と描き続ける世界線もあっただろうに、私はそうはしなかった。

前述の通り、それをしなかった代わりに他のことをしていたというだけなので、後悔してるとかそういうわけではないけど、ただ「好きだから」という理由だけで、自分が好きなことをもうちょっと好きなようにやっちゃってもよかったんじゃないかなとは思ったりする。若いときはなおさらよ。

最近になって、もっと絵が描けたらいいのにって思うことが増えた。

教科としての美術や大学受験の話題にも触れたけど、「美大に行きたかった」とかそういう話でもない。私は看護学とアスレティックトレーニング学を学んで今がある人生をとても気に入っている。

とびきりうまくなくてもいい。ただ、描きたいものがあって、自分の使い慣れた描く道具があって、描く時間があたり前に生活の中にあったりしたら、どんなに素晴らしいことかとふわりと思ったりする。

いや趣味で好きなように絵を描くくらい、今からいくらでもやればえーやんって思うかもしれない。私もそう思いますw 何がそんなに難しいのだろうね。

デザインの勉強をやってみてよかった。デザインを作ることと、絵を描くことはもう全然違うスキルセットだということもよくわかった。デザインのご依頼をいただく中に、イラストの作成もさりげなく含まれていることがある。それはとてもありがたいことだけど、その度に「もっと絵が描けたらいいのに」としみじみ思う。こういうのを拗らせているというのかもしれない。

やりたいことがありすぎて、あっという間に一日が終わっていって、なんかよくわからないけどすごく時間があったような気がする大学生の頃を最近よく思い出す。めっちゃブログ書いてたな笑。だから今も、何か考えを整理したいことがあればすぐ文章に書きたくなるのかもしれない。

書いたからって文章がうまくなるわけではないかもしれないけど、少なくとも文章を書くことに関しては「書きたいことがあって、使い慣れたツールがあって、気合いを入れなくても生活の中でなんとなく書く時間を作ろうと思えば作れる」。絵は描けないけど、文章を書くのは、今の私でもできることなのだ。

月並みだけど、やっぱり好きなことはできるだけ大事にしたほうがいい。それが、感性というものなのだ。
大事にするのはいつからでも、たぶん、そんなに遅すぎることはないようにも思う。



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