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数年前と数年後の未来

今日やるべきことはたくさんあるんだけど、あまりにもショックで、あまりにも悲しいので、少しだけ文章を書いておく。

ATCの先輩で、理学療法士として大阪でご活躍されていた方が、先日病気のため亡くなられたことを知った。

昨年ごろ、抗がん剤投与だと思われる治療を受けていることをSNSで投稿されているのを見ていたので、ご病気をされていることは察していたが、亡くなったなんて、、、まさか、と思った。

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彼と最初に会ったのはいつだったか、もうはっきりとは覚えていないけど、私がまだ留学に向けてTOEFLの勉強をしていた頃だったと思う。

看護師だけどATCを目指しているという私に、ATCであり日本の医療従事者でもあるその方は、とても親身に話を聞いてくれ、応援してくれ、理路整然と建設的なアドバイスをしてくれた。

私は留学中も年末年始は一時帰国して、実家のある関西に滞在していた。
帰国後どういう方向にキャリアを広げていくべきか本当に悩んでいた私は、一時帰国の予定がたったある年の冬、「進路相談に乗ってほしい」と彼に連絡をした。新大阪の近くの病院に勤務しているという彼は、二つ返事で時間を作ってくれた。

年末の大阪駅はとても混雑していて、たくさんあるコーヒーショップはどこもいっぱいだったけど、エスカレーター前にあるスターバックス大丸梅田店になんとか席をみつけて店内に入った。彼は当然のようにコーヒーをご馳走してくれた。ケーキも食べなよ、なんて言ってくれて、ちゃっかりお言葉に甘えてしまったような気もする。

この時彼にいただいた視点やアドバイスは、アメリカに戻ってからその次の年の実習先選びや、今後どうなるためにどんな能力を身につけるべきか、などを考える際の「戦略の軸」に大きな影響を与えてくれた。あのとき、お忙しい中でわざわざ個人的にお会いしていただいたことを本当に感謝している。

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それから時が経ち、私は大学院を卒業してATCになって帰国し、再就職して関東に引っ越した。

彼に再会したのは、JATOのシンポジウム委員の活動だった。その翌年、さらに大きな国際シンポジウムであるWFATTの実行委員でもまた一緒にお仕事をした。

業界の発展に対する変わらぬ熱意、話をしているとすぐにわかる頭の回転の早さ、誰に対してもオープンマインドで社交的な振る舞い。本当にエネルギッシュで情熱的な人だと思った。一方で(もともと知り合いであるという点を差し置いても)いつも朗らかで話しかけやすくて、周りへの気配りを忘れない、優しいお兄さんだった。

まだ実行委員のLINEグループのチャットがいつもアクティブだった頃、奥様が無事にご出産されたと報告してくれた。

あれから2年ほどしか経っていない。

病気がわかったのは、おそらく2020年になってすぐとか、そのくらいの頃じゃないかと思う。

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ほんの数年前まで、業界の未来や日本のヘルスケアのさらなる発展のために、本業の仕事とはまったく別のチームの一員として、さまざまな人や組織と力をあわせていろんな場所で精力的に活動をしていた。

まだ30代で、まだお子さんも小さく、これから社会のためにも、一人の人間として、自分自身のためにも、いっぱいやりたいこと、チャレンジしたいこと、実現したいこと、やり遂げたいことがあっただろうと思う。

こんなに急に、奥さんとお子さんを残して人生を終えなければならないなんて、無念で仕方なかったんじゃないかと思うと、すごくつらい。

JATOの活動で一緒にお仕事をして、当然のように我々の目の前にこれからも続いていくであろう未来を見据えた話をしたのに、それからもう一生会うことがないなんて、あのときは微塵も思いもしなかった。

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みんなで彼の分まで頑張ろうとか、ご冥福をお祈りしますとか、そういう今の気持ちを片づけきれない言葉では、この文章を締めくくることができない。

どうしてこうなってしまうんだろう。
どうしてこうなってしまわないといけなかったのだろうか。

健康的な生活習慣を維持していても、必ずしも高齢者になるまで人生を続けられるとは限らないらしい。

もう本当に、無念で仕方ない。

でも、そんなことって実際に起こることなんだよねと、今はただそう思うしかない。

あなたが確かに生きていたことを、私たちは決して忘れませんからね。


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