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小倉百人一首で遊ぶ 5番歌

奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき

猿丸大夫(生没年未詳)

出典『古今集』

枝から舞い落ちて積もった紅葉の上を、かすかな足音をさせて鹿が歩いている。その鹿がさらに山奥に向かって鳴く声がここまで聞こえてくる。誰を思って鳴いているの?なんて寂しい声なんだろう。なんて秋は悲しいんだろう。


赤く色づいた紅葉はまさしく秋の色。ハロウィンのわくわくと楽しそうなかぼちゃのオレンジも良いですが、やはり日本の秋には紅葉の赤が似合うような気がします。

秋は鹿の発情期なのだそうです。自分の片割れを思って恋しくて恋しくて鳴くというよりは、自然の摂理に従って自己主張するために鳴いている、という方が鹿的には正しいようです。

力強くて華やかな夏が過ぎた後、急に涼しい風が吹き始めるとなぜか誰かが恋しくなるのは、鹿も人も同じではないでしょうか。まだ独り身だった頃、秋は恋をしたくなる季節ナンバーワンでした。涼しさの先には寒さが待っている。暗くて冷たい冬を一人で過ごすのは、クリスマスがあるからとか、初詣があるからではなく、やはり何か心もとないものを感じるから。

この歌は、鹿の足音と声を誰が聞いているのかで見解が分かれている歌なのですが、私は両方ではないのかなと思っています。鹿の足音と声を後ろで聞いているのが作者。遠くの木々の向こうできいているのが牝鹿。そんな感じが私にはします。

作者の猿丸大夫ですが、柿本人麻呂以上にどんな方なのか全くわかりません。古今集に名前が出ているだけです。この「奥山に~」の歌も、もともとは作者未詳の歌で、本当に猿丸大夫の歌なのか不明です。『猿丸大夫集』なる歌集もあるのですが、こちらも作者未詳の歌を収めた歌集です。

大夫というのが官位を表す言葉なので、猿丸という方がいたとすれば、猿丸課長みたいな感じの呼び方で名前が残っているということになります。しかし、猿丸という名前も本当の名前なのか、あだ名なのかも不明なので、もしかしたら、猿丸大夫という人は実在していないかもしれないという説もあります。

平安時代中期には伝説の歌人と呼ばれていたようなので、猿丸大夫かどうかはわかりませんが、この歌を読んだ方は奈良時代の終わりから平安時代の初期にかけて歌を詠み、宮仕えされていた方のようです。

小倉百人一首を恋の歌と季節の歌に分けると、恋の歌が43首、季節の歌が32首あります。その中で秋の歌は半分の16首。春夏秋冬の中で秋が一番多く選ばれています。

秋の変化は鮮やかです。特に秋の中ごろから初冬にかけての紅葉の変化といったら、それは見事です。雪が解けて春になるよりも、梅雨が明けて夏になるよりも、艶やかで美しくて、強くて寂しい。

次に来る冬を予感させながら、最後の輝きを放つような山々の赤はとても胸に迫るものがあります。人生に例えるなら若さのピークを過ぎた時期だけど、こんなふうに強い美しさを放てる季節を迎えられる生き方をしたい。紅葉の赤に私はいつもそう思います。

牝鹿を思って鳴く声に、自分の大切な人を思う心をのせ、色づいた紅葉に時間が過ぎていくのを見る。風景の奥行きと時間の奥行きと想いの深さが重なって、しんみりしてしまう。本当に素敵な歌だなと、いつも思います。


幼子の頭の上で色づいて揺れる紅葉に手が届いた日

侑子



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