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見えるものと見えないものからあの日のユンボへー大埼真理子が描いた世界

私はものすごく
絵がヘタである。
幼稚園の時に
すでに
お絵かきの時間が
拷問だった。

それだけに
私は絵が描ける人
そして描かずには
いられない人
に強く惹かれる。

この映画を
予告で知った時に
「ああ、これは観ないと」
と思った。

それがこの
「見えるものと見えないもの
ー画家 大埼真理子のみた風景ー」

高知で生まれ
幼い時から絵の才能に溢れて
京都市立芸術大学の
卒業制作では
京都市長賞を受賞、
首席で同大学院に
進学し、
その才能に期待される中、
2018年2月8日、
23歳で不慮の事故により急逝。

あっという間に
芸術という海の向こう側へ
行ってしまった
彼女の生涯を
彼女が遺した
膨大な量の作品と
そして家族や恩師、
同志でもあった
級友たちなどの証言から
彼女の作品や制作を紐解きながら
彼女の人生を
辿るドキュメンタリー。

全く彼女のことを知らないまま
観たのだけど
あっという間に
彼女の世界に
引きずり込まれていく。

いつも思うのだが
絵が得意な人は
独特の視点というか
自分の瞳に映るものの
奥まで描くことが
出来る特性がある、
と思う。

それは次々と
映画の中で
出てくる彼女の作品にも
しっかり表れていて

彼女がいつもみていた
実家から見える景色と共に
当たり前にある
無機質なモノたち
(カーブミラーや
自宅の木にぶら下がる
針金ハンガーなど)
ですら
彼女の世界で見えるものには
その存在が
しっかりと描かれている。

彼女自身はあどけなさと
ひたむきさが混在する
女の子、
という形容がピッタリで
お母様は何度も
「まっすぐで、天使のような」
と仰っていた。

友人たちと
楽しそうにはしゃいだり
遊んだりしている姿の中にも
どこかその眼差しは
遠くを見ているようなのが
印象的であった。

中高時代から
早くもその才能を
高く評価され
仲間の中でも
突出した存在
だったであろう彼女は
しかし
その後
筆を進めることが
出来なくなる。

なんとなくだが
それまでの彼女は
一心不乱に
自分が見つめる
「描きたい世界」に真摯に
向き合ってきて
それに対する
大きな評価としての
受賞という事象に
ある種のとまどい
を感じたのかも、
と観てて思ったりした。

それは作品の中での
彼女の視点の変化にも
出てきていたように思う。

長い目で見れば
それは彼女自身の
世界から新たな世界への
旅立ちでもあり
そのための
破壊だと思うが

真っすぐな瞳で
突き進んでいた彼女には
絶望の淵を感じる
不安もあったろう。


恩師である
京都市立芸術大学教授の
法貴信也教授に
ようやく
「これなら描けそう」と
もってきたのが
「あの日のユンボ」の基になる
小さなスケッチだった。

映画の後半では
大埼真理子の新しい
描きたい世界である
「あの日のユンボ」の完成までを
中心に描かれるのだが

自分の中での
描きたいものがない
描けない
というスランプから
教授との会話などから
「温度を描きたい」
という言葉が出てくる。
そして
「みたままを描く」
とも言っていたそうだ。

実は上映後
思いがけなく
映画館のギャラリーで
大埼真理子展が開催されていて
なんと
法貴信也教授自ら
「あの日のユンボ」
と大埼真理子さんの
視点について
説明していただいたのだが
(とても丁寧に
そして深い話を
していただき
映画の内容が
さらに深まり感謝だった)

彼女が亡くなった後
ゼミでも
彼女が描こうとしてたこと
について
話し合ったそうで、

「みたままを描く」とは
単に写実的な角度
ではなく
彼女がその時見た
光景と同時に
彼女自身がその時感じた
音や空気感や
自分の服に張り付く
汗や周囲の喧噪も含めての
「みたまま」だったのでは、
と話されていた。

そして
色んなエピソードも
あわせて
彼女は
絵を通して
「循環」を
描いてたのでは、
と仰ってたのが
とても印象的だった。

「あの日みたユンボ」
は完成された
作品の前に
膨大な量のスケッチを
描いてたそうで
ギャラリー内では
その一部も
展示されていたが

作品自体は
全体に淡いイメージで
ユンボですら
一見すると
見逃してしまいそうな
淡い色で塗られている。

だが彼女は
ユンボを実に精密に
スケッチしていたり
色んな角度から
描いたり
また付箋に
その時感じたことを
沢山
書き残している。

また
完成された作品とは
全く違う
殴り書きのような
スケッチもあり
最初のものは
とても菜の花とユンボと
青空のイメージとは
程遠いものだった。

そうやって
自分の中の
描きたい気持ちや
その時の温度感を
様々な形で
試した結果の
「あの日のユンボ」は
そんな彼女の葛藤や
苦しみなど
微塵も感じさせないが

しかし
不思議に目が離せない作品で
素通りできない
何か
があった。

この作品を仕上げた翌朝
疲れ切った彼女は
自宅のお風呂で
入浴中に眠り込んで
そのまま亡くなる。


お母様は
本当に天使のような子で
もしかしたら
私たちとは
次元が違った存在で
本人は自分の人生の短さも
どこかで
わかっていたのかもしれない
だからこそ
あんなに一心不乱に
絵に真摯に向き合って
いたのかもしれない
と静かに語られていた。

「あの日のユンボ」は
彼女がこの世と言う
人生の中で
彼女がみていた世界と
みえていない世界を
彼女が感じた
あの日の
ユンボと菜の花畑
そして青空と川
それを取り巻く
空気、温度、音
それらすべての源を
私たちにも
少し
お裾分けしてくれたのかも
しれない。

100号という大きな
その絵を見ていると
ふと
今彼女がいる世界は
こんな世界なのかもしれない
そしてこれこそが
大きな循環だよと
おしえてくれてるのかも
しれない。



















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