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もし、また人間に生まれることがあれば

正直に言って、三浦春馬さんの突然の訃報はここ数年の芸能人の訃報の中でも一番ショックだった。

他のことをしていても、ふとした瞬間に思い出して暗い気持ちになる。LINEを開くたびにニュースフィードに彼の名前の記事を見つけて、またずーんと悲しくなる。

最近、俳優の三浦翔平さんと「W三浦」で共演することになったというニュースを見て、ちょっとほっこりしていたところだったのに。

すっごいファンだったとか、特別そういう意識はなかった。

でも、前職の休憩室のテレビで見た「キンキーブーツ」の舞台でかっこよく主演を演じている姿はとても印象的だった。お芝居をすることがこの人の天職なんだろなぁと漠然と思った。いつ見てもいいイメージしかなくて、素敵な俳優さんだと思っていた。

今流れている報道を読むと、現在進行形でご活躍されていたお仕事もたくさんあり、順風満帆に過ごされている印象しか持てない。だから余計にショックだし、あまりに急で、本当に悲しい。

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三浦さんの身近な人や親しい友人は、彼の心にあった大きな苦しみにどのくらい気づいていたのだろう。プライベートを無遠慮に覗かれ暴かれ噂されるのが芸能人なのに、彼がこれまでどんな闇を抱えながらカメラやお客さんの前に立っていたのか、誰も詳しく知らないような感じさえする。

私が普段、匿名で内面の一部を気軽に吐露できるSNSをよく見ているから余計に目に付くのかもしれないけど、世の中には鬱や抑うつの症状、パニック障害、適応障害などなどを抱えて生きている人が本当に多いんだろうなと改めて思う。

一見普通に暮らしているように見える私の周りにいる人たちだって、実際心の中にはどんな風が吹いているのか全然わからない。元気そうに見えても、実は毎日こっそり泣いているのかもしれない。結局、本当のところは本人以外は誰にもわからない。

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私は3月にフルタイムの仕事を辞めて、毎日自分の好きなように時間を使える日々を数ヶ月過ごしてきて、かつコロナのせいで人に会うような予定も全く入らなくって、毎日ひとりでいろんなことを考えるようになった。

そうすると、「私の人生はこれでいい」とか「今日はいい1日だった」とかの「良し悪しの評価」を決めてくれる要素が、100%自分の主観に委ねられていることに気づいた。

仕事に行ってたらなんとなく「やるべきことをちゃんとやってる」って感じになるけど、今はそうではない。

今日なにをするのか、何をしたいのかは自分で意思をもって決めなきゃいけないし、なぜそれをやるのか、今後どうなりたいからそれを選んだのかなんかをしつこく考えないとなんかもう生きていけない。

自分の心の状態がほぼ100%の割合で1日の評価に影響するこんな毎日では、もし私が今すごくネガティブで苦しい精神状態だったとしたら、きっと何をやっても「よかった」って思えないのだろう。

特に大きな悩みや問題がなく「心身ともに健康な状態である」と自覚している今の私でさえ、なんとなく元気がでない日、無気力な日、頑張れない日がけっこう頻繁にある。それくらい人の心や精神状態って、移ろいやすくて、不安定で、壊れやすいものなんだと思う。

自分自身や人生を無闇に否定せず、将来に希望を持ち、毎日に小さな幸せを見出して明るく元気に生きつづけるためには、常に細心の注意を払って感情や思考を選択し続けないといけない。とてもデリケートで気が遠くなるような作業だ。

ちょっとバランスを崩しただけで、ちょっと想定外の大きさの攻撃を受けてしまっただけで、一気に暗い谷底に転落してしまう可能性は誰の人生にもありうる。

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気分が下がっているとき、ちゃんと心が喜ぶようなことをして欲しい。みんながそうしてほしい。誰もが自分の心の声を大事にできる、していい世の中になってほしい。

夕食後にスイーツ食べてもいい。推しのグッズに散財してもいい。ネットフリックス朝まで見まくっていい。ハマってるゲームに万単位で課金してもいい。1日中ベッドで猫とゴロゴロしてていい。朝起きなくてもいい。ちょっとくらい何もしなくても全然いい。誰の役にも立たなくていい。


もし、三浦春馬さんが次に生まれ変わったときにまた人間として生まれてくるのであれば、みんなの期待に応えなくてもいいから、無理しなくていいから、幸せだな〜って心から笑える日がたくさんあるような人生を生きられますように。


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