好きの歩みが少し止まってしまった話
ひそひそ だいじな 話を しよう
2021年11月、ラジオのスペシャルウィークを前にして大好きだったラジオ、そして音楽も聞けなくなった。どちらもたくさん聞いていたのに、何かが破裂したかのように聞くのが怖くなった。
やっと少し気が向いてイヤホンから流れる曲を聞いて、わぁわぁ わぁわぁ と声をあげて泣く準備をしていたはずなのに、今とても辛い状況なんだと何かで発信しないと誰にも気づいてもらえないことに気づいて断末魔。わかんない。どうすりゃいいなんか。
今回のケースについて。
たそがれに聞いたあのWord、幸せのはずなんだと型にハメることについて考えてしまった。
古くから慣れ親しんだ教祖ポルノグラフィティ様はこうおっしゃった。
教祖ポルノグラフィティ様は次のようにもおっしゃっている。
【幸せとは、型にハメるものではなく、意外になくはないんだと気が付くもので、努力次第で今よりも大きくできるものなんだ教】を信仰する者は、メリッサのMVの最後の道化師のように戸惑った。
一般的に言うところの幸せに見える人が、幸せのはずなんだと型にハメようとしているということは・・・。
襟の英語:collar(カラー)からオトナからのかいこにも気づいているのに・・・今はゴンフィンガーをあげることはできない。
ウーロンを奢ってもらうつもりもないけど、ずっと震えてる寒い日だろうと今はまだこのスーツを貸せない。
そんな日々が続いている。
もっと早く出掛ければよかった。
まじでやばすぎる状況でほんとついてねぇんだけれど
いつぞやの事と思い出して笑うために
明日も生きようね
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