体調不良を理由に休むことについて

体調不良は、別にその人自身が悪いわけじゃない。
心身の苦痛に、その本人の責任を追及する社会はもうやめてほしい。
人に優しい社会であって欲しい。

Xのポストで回ってきた内容について、私個人が思ったことだ。

そのポストは、要約すると「感染症による影響で、体調不良を理由に休む若者が増えているが、そういったことが続くと役者業の場合はスケジュール調整などが難しく、信用問題が発生するため仕事が振られにくくなる」という至極真っ当な内容なのだが、そのポストを見て、私はその方が恐らくストイックな方なのだろうなという印象を受けた。


私自身、前の職場でよく体調不良を理由に休んでいたので、このポストに対し思うところが色々とあった。
私の場合はその職場の中で色々あり適応障害を起こし、心身ともに憔悴し、元々気候変動で体調に変化がある人間だったのが加速した側面があった。(この辺りは別の記事でも触れているのでよければそれも読んでいただけるとありがたい)
そのため、大学時代であれば授業にいけるレベルのものが、行動不能レベルにまでなってしまうと言った事態が度々発生していた。正直、適応障害を起こしたことによる体調の変化なのか、気候変動によるものなのか境目がかなり曖昧であった。

今転職し、違う職場で働いている今思えば、その症状の大半はやはり適応障害によるものだったらしい。今でも気候変動で体調が変化し、パフォーマンスの低下こそあるが、それでも変な休み方をすることはなくなったからだ。あの職場で働いていたことによる心身への影響が、かなり著しいものだったということが、転職して改めてはっきりしてしまったのである。

正直、前の職場で勤めていた間はできればその事実を直視したくなくて、できるだけ頑張って出勤しようとしていたのだが、やはり何日も無理な日は発生していた。もちろん、いわばそのポストの方が仰せの通り、信用問題に影響があるとひしひしと感じていたし、それ故に職場の面々に対する罪悪感や無力感、絶望感に苛まれ、常に引け目を感じ続け、出勤できない自分などこの世に生きている価値もないとさえ思った。
ただ、当時の状況を思うと、自己管理云々でどうにかできる状態ではなく、治療をどんなに頑張ったところで回収できないくらいの不安定すぎる状態の中でもがいていたのは事実だ。


さて、Xのポストの件に戻そう。かの忌々しい感染症の影響で、無理に出勤することで逆に一緒に業務する人に迷惑をかけるから気をつけようという風潮も相まって、「休みやすい」雰囲気になってきていることは社会全体であることだとは思う。休むことへのハードルは間違いなく下がっている。

もちろん、体調不良で休むことなど恥ずべきことで、自己管理がなっていないからだという人の気持ちも分からなくはない。私もそういう風潮の中で生き、中学生時代それを完遂しようとして心身ともにシャットダウンされ、貴重な思春期を病床に費やした過去があるからだ。大学に入る前になんとかその地獄からは脱却したが、今でも私の中にその呪いは息づいている。


私みたいな人を、もう作らないで欲しい。
Xのポスト主やその賛同者に悪気はなく、あくまで昨今の風潮を嘆いているにすぎないことはわかっている。
だが、その言動が呪いとなって、元々健康なはずの誰かを心身ともに崩壊させることを、どこか念頭に置いて欲しいというのは私の願いだ。


人間はナマモノだ。人によって限界の度合いも違う。同じ出来事でも、痛みの度合いも違う。
多様性と言われる昨今なのだから、その辺りの認識にも広い視野を持つことのできる社会であって欲しい。どんな業界も…そうでなければ、いずれ業界自体が破滅していくのではないだろうか。
実際役者の方の業界も、いわゆる名だたる方が心身を崩して休まれている現状があるではないか。ネームバリューがあれば許されるのか。



…考えてみれば、私も舞台に立った頃、なぜか私だけハードすぎるリハのスケジュールが組まれて目を疑ったが、文字通りぶっ倒れてしまうまで乗り切った。あのスケジュールなら私でなくてもきつかったんでないかと思う。だが数日で戻した。
今なら、多少無理を押しても翌日には復活させるだろう。夢で終わってしまうかもしれないが、いつか何かしらの形で演技の仕事に就いた暁には、今日感じたこのやるせない気持ちをバネに絶対に体調不良では休まずやり通して見せよう。


結局のところ、心身の調子を悪くした経験のない人が何をか言わんや…とも思わなくはない。
健康こそ一番だが、複雑な気持ちだ。




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