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本当に変えたかったのは名前じゃなくて

私がnoteとTwitterで使っているこの「かぎね」という名前。無性に変えたくなったんです。本名に寄せた名前にしたい!っていう衝動が突然湧いてきました。

ただ、継続して交流している方が少しずつ増えてきた今、簡単には決心がつきませんでした。申し訳ないし、これまで築いてきたものがリセットされるような怖さもあって。

いったん保留ということで自分の中で落ち着いたんですが、一時は嫌悪感と呼べるくらいかぎねが嫌でした。

SNSの名前なんて深く考えずにつけたらいいし、深く考えずに変えればいい。そのとおりです。そのとおりなんですが。


この名前、一応由来はありますがそれは二の次で。身バレにつながらないこと、私を知る人が私だと推測できるヒントがなにも含まれていないこと。それがなにより大事でした。

身バレしたくないと言っても、家族や仲の良い人にばれることは別に怖くはないんです。恥ずかしくはあるだろうけど、読まれて関係が壊れるようなことは書いていないつもりだし。

逆に、そこまで親しくない知り合いや過去に少し関わりがあっただけの人に知られるのはめちゃくちゃ恐怖でした。自分の中の深い部分まで書いているのに、どう思われるんだろうって。

交流できる方が増えてきたから名前を変えにくい、って書きましたが、交流できる方が増えてきたからこそ変えたくなったのも事実です。仲良くなりたい方にこんな消極的な理由でつけた名前で呼ばれることが、苦しいというか寂しいというか。


大げさかもしれないけど、自分はずっとこんな生き方をしてきたんだと思います。自分にとって重要度の低い人のことに時間を使って神経をすり減らして。残りの人生もそんなふうにして生きていくんだろうか。

好んでつけたはずの名前を変えたくなったのは、今までしがみついてきた価値観への拒絶反応なのかもしれません。



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