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『ありのままの自分』『ほんとうの自分』問題についてどう思う?~嫁ゆっきぃ編~


こんにちわ。

藤山家嫁のゆっきいです。

夫婦ブログ、ちょっと間が空いてしまいましたね。

ところで前回の亮一さんの記事は読んで頂けましたか?

あれは秀逸でしたねぇーー!

え?

まだ読んでいない?

ウソッ?!!

マジで?!!

それはヤバい。

これは読んだ方がいいです。

まだ読んでない方は騙されたと思って読んでみて下さい!☟☟


さて今回のテーマ。

『ありのままの自分で生きる』『ほんとうの自分』問題についてどう思う?

です。


これね、結構ご相談を受けることがあるのでテーマとして持ってきたのですが、今回もまぁ私の意見は割とどうでもよくて、やっぱり亮一さんがどう書くのか?が早く読みたくて仕方がないのです。

ですが、なんとなく私のお話しも書いておかないと夫婦ブログとして成り立たないので書きますね。

私の意見なんて割とどうでもいいのでサラッと読んでくださーい。

(でも真剣に書きますよ。)


さてさて。

『ありのままの自分で生きる』『ほんとうの自分で生きる』と聞いて、どんな感覚になりますか?

ドキッとする?

ふーんって思う?

なんじゃそりゃ?って感じる?

「そうだそうだ!」と奮起する?


ちょっと前から流行ってますよね。

「ありのままの自分」「ほんとうの自分」。


少し前、私の元にも相談しに来た方が何人もいらっしゃいました。

そんな方たちはみなさんこう言います。


「ほんとうの自分の気持ちがわかないんです。。。」

「ありのままの自分がわからないんです。。。」


うむうむ。


そしてこんな方たちもたくさんいらっしゃいました。


「ほんとうの自分で生きようと決めたのに人からワガママだと責められるんです。。。」

「ありのままの自分で生きようとすると人と衝突してしまうんです。。これが“ゆりもどし”ってやつですか?!」


うむうむ。


これねー。

流行っちゃったからね。

スピ好きな方たちはみんなやりはじめましたね。

『ありのままの自分探し』『ほんとうの自分探し』。


そんな私もやりました。

かれこれ20年くらい前に。

まだ『ありのままに生きる』が流行ったりしていないころです。

(これは私こんなに早くからやってたの!!っていうマウンティングですよ。マウンティングをやる時はきちんと「今マウンティングしているよ!」と公言しましょう。笑)


あれは私が24歳のころでした。

(もう21年前ってところが驚きだ!!←マウンティング2回目。)

当時私は高級クラブのホステスをしていたのですが、毎日毎日お客さんや先輩ホステスさん達に気を使いまくり、嘘つきまくりの生活をしていたんですね。

「彼氏?いないですよ。○○さんが彼氏みたいな感じですよぉ。」(←彼氏のような存在はいるし、○○さんをそんな風にはまったく思っていない。)

「お姉さんはほんとにすごいですよねぇ。かなわないですよぉ。」(←そう言ってほしそうなお姉さんたちはたくさんいたからしょっちゅうそんなこと言ってた。その後成績は私の方が上になるという。性格が悪すぎる。)

思ってもいないことをサラッと言い続ける私。

これが仕事ですから、となんとか割り切っていたのですが、内心とっても苦しかった。


そんなある日。

私はプライベートでバーに1人で飲みに行きました。

1人飲みはよくしていたので、この日もなんとなく1人で飲みたかったからよく行くバーに行ったんですね。

バーに着くと、顔見知りの常連さんがお友達を何人か連れてきていました。

「お!ゆっきぃ!今日は1人?」

その常連さんとは何度か一緒にお酒を飲みながらお話ししたことがあったので、気さくに声をかけてきました。

「この子ゆっきぃ。たまにここで一緒に飲むんよ。あ、ゆっきぃ、俺の友達たち。」

私は1人で飲みたくて来たのですが、その常連さんは気さくな方で私をすぐに自分の友達に紹介しました。


「あ、こんばんわ。はじめまして。」


今でこそ私はいろんな方とお話ししますが、当時は人見知りバリバリ。

しかも話すの苦手。

ちょっとよそよそしい態度で挨拶をする私。

「はじめましてー!ゆっきぃさん?どうぞよろしくー!」

常連さんの仲間たちは社交的でにこやか。

私をすぐに受け入れ(たように見えた。)、一緒に飲むことになりました。

私は1人で飲むために来たのだけれどなんだか断れない雰囲気になってしまい、ひきつった笑顔のままバーでの飲み会スタート。


「ここにいるみんな新聞記者なんだよ。」


常連さんが仲間のみなさんのことを私にそう紹介しました。

私は『新聞記者』という肩書に怖気づく。

しかも某有名紙。

誰もが知っている名前。

そんなすごい人たちと飲むなんて…とひるむ私。

そんな時、お一人の方が私に訊ねました。


「ゆっきぃは何をやっているの?」


私はホステス。

大阪のミナミのクラブホステス。

そりゃ高級クラブですが、しょせんホステス。(と私は思っていた。)

なんだか私はそこに引け目を感じ、すぐには答えられませんでした。


「え?えー…と、あの、まぁ…なんといったらいいか…」


なんてごにょごにょする私。

そんな時、常連さんがお仲間のみなさんにこう伝えました。

「ゆっきぃはミナミの○○っていう老舗高級クラブのホステスさんなんやでぇー!すごいやろ?」

それを聞いたお仲間は「えーー?!」とか「そうだったんやぁー!」とか「そんな感じしたぁー!」とか「すごいやん!!」などなど、かなりの反応が。

私はその反応に戸惑い、「え…いや、そんな…まぁ…そうですねぇ…」みたいな気持ち悪い返ししかできませんでした。

その後はみなさん私を『クラブホステスの私』とみているのがよくわかる態度、質問を繰り出す。

そして私もいつの間にか『クラブホステスを仕事にしている私』の顔になっているのがわかりました。


その日の夜は常連さんと新聞記者のお仲間たちとお酒をたくさん飲み、会話をしたのですが私の中にものすごい違和感が残りました。


今までだってそんなことたくさんあったんです。

『バーテンダー』を仕事にしている時はプライベートで飲みに行っても「仕事はなにをしているの?」と聞かれ、「バーテンダーです。」と答えれば『バーテンダーを仕事にしている私』の顔になり、相手も私のことをそう見る。

ホステスになってからだって今回のようなことはたくさんあったのに。

なぜか私はこの新聞記者さん達とバーで飲んだときにものすごく違和感を感じたのです。


私はその日を境にこんなことを考えるようになりました。


「仕事の肩書を全くなくした私は人と何を話せばいいのだろう?」

「ホステスという肩書をとっぱらった素の私のままだと人と何も話せない…」

「私ってなんだろう?」

「みんな大人になると『仕事は何しているの?』と聞いて、その肩書ありきで話している感じがするけれど、それをとっぱらったらみんな何を話すんだろう?」


私はそんなことを何度も考え、確認し、愕然としました。


私…肩書に頼って人と話してたわ…

何も役割がないただの『私』じゃなにも話せないし、人とどう接していいかわからないんじゃん。

あれ…

ていうか…

私…ってなに?!!!!!

どこにいんの?!!

で?

私って日々何考えてる?

私って人となに話したいと思ってる?

え?

ちょっと!

わからんーーー!!

何の役割もないただの『私』って何を思ってて、何が嫌で、何をいいと思ってて、何を感じているの???


さぁ始まりました。

『ほんとうの自分探し』です。


私は24歳の時に仕事の肩書や役割を全部全部とっぱらったら何が残るの?という疑問から入りました。

それまでの私は私のことを『仕事で成果を出していかなければ生きていくことが認められない生き物だ』と心から信じ込んでいたので、どうしても日常が仕事のことでいっぱいになります。

で、気づいてしまったのです。

「私…どこにもいないじゃん…肩書とったら何もないじゃん…」


これは大ショックです。

中身のないすっからかんの私。

誰とも素で話すことができない私。

そこにあるのは『恐怖』でした。

素のままで話すということを考えてみたときの恐怖。

丸裸のままで誰かと話すという怖さ。

私はあまりにもそれが怖くて「無理無理無理無理…」と呪文のように何度も唱えました。


ホステスの時はホステスの顔をする。

そして必要な(だと感じる)嘘をつく。

彼氏といる時は彼氏と一緒にいるときの顔をする。

(当時私はまったくその彼を好きじゃなかったからこれもウソつきまくりの時間でした。)


でもそれをちゃんと観ている私が存在しているのです。

例えば「○○さんに今日も会えて嬉しいです♡」と仕事で言っている私のことを「まぁウソやけどな。」と観ている私がいる。

彼氏に「今日も大好きやで。」と言っている私のことを「けっ!思ってもみないことを言いやがって!」とツッコミながら観ている私。

私はその観ている方の私が『ほんとうの私』だと感じている。

それで?

それで、その『ほんとうの私』が素の私だとしたら?

……

性格悪すぎじゃない???!!!!

嘘つきまくりなのは知ってた。

知ってたよ。

でもさ、それは生きていくうえで仕方なかったじゃん。

そうだよね?

仕方ないよね?

で?で?

あれ?

でもさ、仕方ないって言いながらずーーーっと人に嘘つきまくって生きてるのは事実だよね?

あれ?

私ってもしかして…

最低野郎なのーーー?!!!


あぁ…

私最低だ。

最低野郎だ。

そりゃ肩書を理由に綺麗に壁を作らなきゃ人と話せんわ。

素で話したら嫌われるにきまってんじゃん。

だからか…


私は『ほんとうの私探し』で大ショックを受けました。

そして素(ほんとう)の私で話したらただただ嫌われるだけだと実感しました。

それに素(ほんとう)の私で人と話すことなんて何もないし。


素の私で人と接することを半ばあきらめた私はその後驚愕します。

あれ?

じゃあ一生何か肩書がないと生きていけないってことじゃん。

肩書がなきゃ人と一生話せないってことじゃん。

しかもその相手は一生素の私をしらないままじゃん。

ずっと嘘つきまくって生きなきゃいけないってことじゃん。


…そんなの嫌だ…

…辛すぎる…


そう思いたった私はながいながーーい実験に繰り出します。

長い地道な実験です。

それは

すこーーーしずつ、私の本音、素の私が思っていること、を人に小出しにしていく。という実験です。

(一気にぶちまける勇気はないし、それだと実験にならないからね。ぶちまけても大惨事になることわかってたからね。)


1人で飲みに行くときもできるだけ仕事を言わないようにして、なるべく素の自分の本音を口にするようにしました。

その度に私は震えます。

だって「素の自分は人から嫌われる」と思っているのですから。

素の私は最高潮に性格が悪いのですから。(と思っていた。)

毎回毎回震え、怖がり、でもほんのちょっと、半歩を踏み出す。(一歩にも満たないこと多々。)

こんなことを言ったら嫌われる!と思っても思い切って言ってみる。

嫌われても別にいーし!と開き直りながら。(ほんとは泣きそうになるほど怖い。)


そんなことを10年以上続けました。

どれがほんとうの私だろう?

素の私はどれだろう?

肩書を全部とっぱらった私はなんだろう?

と、探しながら。

毎回怖い怖いと言いながら、少しずつ少しずつ「これは言っちゃいけないことだ!」と思っていることを裏切りながら口にして、人の反応と自分の反応を観続けました。


「私がほんとうに思っていることは?」「ほんとうの私はどこにいる?」「素の私ってなんだろう?」「ありのままの私はどんなだろう?」「どこにいるんだろう?」「どれがほんとうだろう?」


そんなことをずーーーっと続けました。

そして目の前に現れた人を対象にして反応を観ていったのです。


そうしたらわかったことがあるんです。

ながーーーい年月をかけてわかったことがあるんです。


あのね、

いくよ、


いままでの私、ぜーーーーーーーんぶほんとうの私だったんです!!


嘘をつきまくっていたのもほんとうの私。

ほんとうの私を探していたのもほんとうの私。

いやいやいや、素の私なんて嫌われるにきまってんじゃん!と思っていたのもほんとうの私。

それをずーーっと観ていたのもほんとうの私。

素の私じゃないと思っていた方の私も素の私。

どれもこれもずーーーーーっと『ほんとうの私』であり『ありのままの私』だったんです!!!!


きゃーーーー!!!

驚愕!!!


私は今自宅で整体施術を施したり、人のご相談事にのったり、個人セッションなんかをやったりしているのですが、そんな時私はこんなセリフをよく言います。


「で?ほんとうの気持ちは?」

「それで?ほんとうはどう思ってるの?」

「ほんとうのあなたはどう感じてる?」


矛盾してるでしょーーー?!


だって、全部ほんとうの自分だったって言ってるのに「ほんとうはどう思ってるの?」って聞くんですから。

どれもほんとうなのに。


これはね、「言っちゃいけないと思っている方の気持ちを言ってごらん。」

「思っちゃいけないと思ってるけど、実際は思っちゃってるほうの気持ちを口に出してごらん。」

「そんなこと感じちゃいけないと思ってる方の感情を言ってごらん。」


そういう意味で使っています。


何を思ってもいい。

何を感じてもいい。

それはあなたの自由です。

あなたの人生ですから。

それを罰しているなら、それを隠したいと思っているなら、そこを感じてみようよ。

どうして隠したいと思っているの?

どうして罰するの?

そこを観ようよ。というお誘いです。

「ほんとうはどう思ってるの?」

の「ほんとう」は「ほんとう」じゃないんです。

だってどれも「ほんとう」だから。


さて。

長くなりました。

まとめます。


『ありのままの自分』なんてどこにもいないんだよ。

『ほんとうの自分』なんてどこを探してもいないんだよ。

だってもう目の前にいるじゃない。

あなたのどこを切っても、どこを探っても、ぜーーーーんぶ『ほんとう』だし『ありのまま』なんだよ。

たくさん顔を持っててもいい。

それを観ている自分もちゃんといるでしょ?

どんな思いを持っててもいい。

誰がかまうもんか。(ラメッシ好き。←知ってる人いるかなぁ。)


人生とは気づくことしかできないし、気づく以外に必要なことなんて何もない。

               byゆっきぃ禅師(←誰?)


何を思ってもいいし、何を感じてもいい。

それを人にぶつけるかぶつけないか、だね。


『ありのまま』『ほんとうの自分』で生きようとした時に現れる壁。

それは「人にわかってもらおうとしている時」に現れる。

それもまたいいね。


ってことで、どれもほんとうの自分なんだよーーーん!探さなくても目の前にいるよーーーん!というお話しでした。

長年かけてやっと気づいたんだよ…

ほんとにもう…ねぇ…

でも未だにひっかけ問題にひっかかる愚か者ゆっきぃなのでございます。

この世はひっかけ問題だらけだわ…。


さて!!!

亮一さーーーーん!!

これ、どうやって書く?

亮一節をお願いいたしまーーーーす!!

楽しみすぎる!!!!

藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!