子どもを亡くすという経験をしてどう変わった?それとも変わらなかった?~嫁ゆっきぃ編~
今日のテーマはちと重く感じる方がいらっしゃるかな。(;'∀')
人によっては嫌悪感が湧くかもしれない内容になるかもです。
そんなことを踏まえつつ、読後に何を感じ、何を思うか、を確かめて頂けたらいいなぁと思います。
そしていつも通り、この後亮一さんが何を語るのかが楽しみで仕方がない!!
私のブログを読んで下さっている方たちや直接私を知っている方々にとってはもう何度も出てきている内容ですが、私は2人子どもを出産していて、下の子を1人亡くしています。
上の子はすくすく育ち、今7歳。(娘♡)
下の子は生きていれば今5歳。(男の子♡)
その下の子は18トリソミーという染色体異常で生まれました。
18トリソミーとは、18番目の染色体が3本で生まれてきた子のことです。
(普通染色体は2本で一対。いわゆる健常者といわれる人たちは、全部で23対計46本の染色体で構成されています。)
18トリソミーの子の特徴としては
筋力が弱く、なかなか大きくならない。
心臓に穴が空いたまま生まれてくることが多い。
言葉を話せるようになることは(ほとんど)なく、知能もなかなか発達しにくい。
身体のつくりが全体的に弱く、病気にかかりやすい。(菌に弱い。)
そして、短命であることが多い。
(もちろん長く生きている子もいますよ。可愛いんですよぉー)
18トリソミーの子が発生するのは3500人~8000人に1人くらいな確立だそうで、その中でも産まれてくることができるのはわずか6%。(すごい!!)
症状がとても重いケースが多く、94%の赤ちゃんがお腹の中にいる間に自然流産してしまうらしいです。
私たちの息子は18トリソミーの男の子。
生まれてくる確率がめっちゃ低いと言われている男の子で、しかも心臓の穴もほんの僅かでした。
(その後その心臓の穴が塞がるという奇跡を起こしたんですよ!!)
名前を天太(てんた)と言います。
めっちゃ可愛いでしょ?!(*‘∀‘)
加えていうと、18トリソミーの子は1歳まで生きられるのがまれだと言われています。
確率的にはわずか10%。(今の医学の進歩でこの確率はちょっと上がったと言われています。)
私の息子の天太さんは1歳4か月まで生きました。
男の子で生まれてくるは、心臓の穴は塞がるは、1歳超えるは、そりゃもう奇跡のような子だったんです。
まさか私が18トリソミーの子を持つなんて思ってもいなかった。
染色体異常の子の親になるなんて思ってもいなかった。
急に始まってしまった“非、日常”の“日常”。
戸惑い、悩み、泣き、迷いました。
いつ死んじゃうかわからない我が子のお世話をするということがどういうことか。
みんなと同じように育たない我が子を育てるということがどういうことか。
未来を期待しないようにしながら我が子と接するということがどういうことか。
そんなことを知りました。
自分の性格の悪さに辟易としたり、自分の母性的ではない面を知って落胆したり、人間として最悪だなと自分を罵ったりもしました。
そして私はいろんな方面から見た“あきらめる”を知りました。
それは言いかえると『自分の観念を壊す』と言うことなんだけど。
『死』がいつもすぐそばにあるという毎日。
それは天太さんが18トリソミーだったからリアルにヒリヒリと感じたけれど、それはいつだって身近にリアルにあるものだったとうことに気付かされました。
天太さんとの毎日は今思い出してもきつい毎日だったな。
可愛くて愛しいのに、その反面で『早く私を解放してくれ!』と思っている自分に出会ってしまったりしてね。
天太さんとの毎日は今思い出しても穏やかな時間が流れていたな。
天太さんがそこにいるだけで静寂な空気が流れるのを感じたりしてね。
天太さんは私の腕の中で亡くなったんだけど、その時思ったことはこんなことでした。
「あぁ…人ってほんとに死ぬんだなぁ…」
そしてその後私はこんなことを感じていました。
「やっと終わった…」
そして↑こう思ってしまうことを責めている時が一番苦しいことを知りました。
我が子が亡くなったのに「やっと終わった」と思ってしまう自分を責めてしまう。
これが一番苦しい。
誤解を恐れずに言うと(←この言葉あんまり好きじゃないけど。(;'∀')恐れているからこの言葉使うんだよね?)、もしかしたら『我が子が亡くなったという事実』より『やっと終わったと思ってしまう事を責める』方が辛いかもしれない。
可愛かったし愛しかった。
今も思い出すと可愛くて愛しい。
写真を見るとニヤニヤ笑ってしまうくらい。
でも同時に「あーもうあの体験はいいやー!」と思う。
もう一度抱っこしたいなぁ…と思っているけど、もうあの毎日はいらないやーと思っている。
そんな自分を「そうなんだね!そう思ってるんだね!うんうん。」とただただ知る。
そうすると、そこには何の苦しみも辛さもないことが分かりました。
天太さんが亡くなった後もただただ明るかった我が家。
亮一さんもそらさんも私も相変わらずケラケラと笑っていた。
そんな私たちの姿を見て、(当時の)友人の1人がこう言いました。
「ゆっきぃ大丈夫?辛いよね。無理しなくていいんだよ。」
私は何も無理していないし、どこも辛くない。
悲しみにくれてもいないし、無理に笑っているわけでもない。
だから私はこう言いました。
「え?!全然大丈夫だよ。どこも無理してないよ!」
これはほんとにほんとのこと。
一ミリも無理してないし、一ミリもガマンなんてしていなかった。
でもその友人はそんな私の言葉を信じませんでした。
「ううん。私はわかってるよ。だから私の前では無理しないでいいから。」
…へ…?
いやいやいや…
「いやいや。だからね、ほんとに無理なんてしてないし、めっちゃ元気だよ。ありがとうね。」
笑いながら答える私。
彼女はそんな私にたいして最終的に怒りを表した。
「みんな心配してるんだよ!ゆっきぃのこと!みんなが心配してるんだからねっ!!!!」
…ポカーン…
なんで怒られているのかわかりません。
我が子を亡くしたのは私なのに、そして「まったく無理していないし大丈夫!」と本気で言ってるのに怒られたのです。
私は彼女とのやりとりで、こんなことを知りました。
『人は自分の持っている観念通りの反応をしてくれないと不満を抱くこともある。』
彼女は彼女が持っている『子どもを亡くした母親像』と全くちがう姿を見せられて戸惑ったんだなぁということがわかりました。
そして天太さんが亡くなった時に正直に書いていたブログにもこんな批判コメントが付きました。
『最低。こんな親にはなりたくない。』と。
少なからずショックを受けたけど、これで私はまた一つ体験が増えた。
当時18トリソミーの子を持つ親御さんのブログを読み漁っていた私は、我が子が亡くなった後に苦しんでいるお母さんの記事を読んで切なくなりました。
「悲しんでいる時間が短くなっていることが辛い。」とそこには書いてある。
その子を思い出す時間、悲しんでいる時間が日に日に短くなっていく事実。
日に日に笑う時間が増えている自分を責めてしまう。
元気に日常を送っていることを罪の様に感じてしまう。
こんなことに苦しんでいるお母さんが多いことを知って切なくなる。
『悲しみ』という感情は持ち続けることができない。
というか『悲しみ』に限らず、感情というものはすべて持ち続けることはできない。
我が子が亡くなっても水は飲むし、おしっこはしたくなる。
お腹は空くし、もしかしたらテレビを観て「フッ」と笑ってしまうこともあるかもしれない。
それが人間の当たり前で普通のことなのに、『我が子が亡くなったのに悲しみ続けていない自分』を罰する母親が(父親も)たくさんいるということを知った。
我が子が亡くなって悲しくて淋しい気持ちもあるけれど、笑ってしまうほど楽しい時間もあるし、なんならそのことを忘れてしまう時もある。
それが普通の人間で、冷酷でもなんでもない。
それが普通だよ。
日常は続いていくんだよ。
そして日常とは『何もとどまっていない』んだよ。
『悲しみ』すら捕まえておくことができないんだよ。
そしてその捕まえておけない『悲しみ』がまたフッと強く去来することもあるんだよ。
そしてまた去っていくんだよ。
そんなことがわかるようになった。
・人間はありとあらゆる側面があり、時には相反する感情を抱くことがあるし、それが普通である。(可愛いし愛しいけど、早く解放して欲しいと思うとかね。)
・人間は相手が自分の観念通りに反応してくれないと不快感を感じることがある。
・掴めないものを掴もうとするときに辛さを感じる。(感情とかね。)
・人は確実に死ぬ。
天太さんの誕生と死で私はこんなことを知りました。
そして「私の人生にこんなすげーことが起こったんだよ!!」と少し誇らしく感じていたりします。
普段の私はこの出来事をすっかり忘れていたりします。(天太さんがいたってことね)
薄情だって思います?
私は思います。笑
でも毎日が楽しくて幸せならそっちのがいいやって思っています。
「私は私を幸せにする義務がある」から。
さて。
この件について亮一さんが“ちゃんと”書いたことは一度もありません。
どんなことを言うんだろう?
彼の言葉でどんな表現をするんだろう?
すっげー知りたい!!
りょういちさーーん!
お願いしまーす!!
藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!