愛ある限りに藹藹と

アイドルのファンをしていると、素敵な言葉に巡り会う。

例えば、藤井くんがアイドルになって間もない頃、舞台の会見で言った「アイドルのかけらを探していきたい」

例えば、ananがさらりと、けれど確かな熱を持ってつけてくれた特集のキャッチコピー「存在というぬくもり」

どれもアイドル・藤井直樹を構成する言葉の破片だ。
子供の頃に縁日で買ってもらった指輪のような、儚いのに忘れがたい、特別な輝きを放っている。

なかでも、ふとした瞬間に思い出すのは、oliveでカバーを飾った時のキャッチコピー「好きなもの、ずっと好きでいさせて」だ。

「好きなものをずっと好きでいる」
一見、とても簡単なことのように思える。
10代の自分だったら「好きなものを好きでいるのに、わざわざ(いさせて)なんて思わないけどな」と、恥ずかしいくらいに歯向かっていただろう。

今ならわかる。
好きなものを、好きな人を、ずっと変わらずに好きでいるのは容易いことではないのだ。

去年、初めて心と体の調子を崩した。
食事をしたり、眠ったり、人に会ったり、当たり前に出来ていたことがどんどんできなくなった。
働けない自分は不要という強迫観念から、何とか職を続けていたが、一人になると涙が止まらなくて、自分で自分が制御できなかった。
助けてと零してしまいたいのに、虚栄心ばかりが強くて、SOSを上げることもできなかった。

大好きな藤井くんに感動しなくなった。
これから先、何を見ても無感動なまま一生を終えるのかと思うと、恐ろしくてたまらなかった。

幸い、不調は長く続かなかったが、空白の時間を思い出すたびにまだ背筋が寒くなる。

スプパラを観た時、美 少年の華やかなパフォーマンスに感動しながら、同時に「ああ、また大好きな人を大好きと思えるんだ」と涙が溢れた。
藤井くんの目じりが下がった微笑みを見ながら、膝が細かく震えたのを今でも覚えている。

もちろん、藤井くんを好きでいることだけが、人生のすべてではない。
家族も、友達も、仕事も、愛読書も、好きな映画のワンシーンだって、私の人生を確かに彩っている。
でも、それでも「彼」は特別なのだ。

とびきり可愛くて、
優しくて、穏やかで、空気を読みがちな、
ひだまりのような人。

この人の夢が叶って欲しい。
風が吹いて、雲が流れ、
ひだまりに影が落ちないようにと願ってしまう。

とんでもなく身勝手な話だが、好きな人を好きで居続ける未来に不安を覚えたことだってある。
藤井くんを応援していた時間に、同世代の友人たちの環境がどんどん変わった。
自分と人の人生を比べるなんて無意味で、相手に失礼な行為なのに、自分だけが変わっていないように思えて酷く焦った。

会話の流れで「そろそろ現実見ないとヤバいよね」と自虐したこともある。
本当はそんなこと思っていない。
藤井くんを好きでいる時間は、かけがえのないものだった。

挙動不審になりながらジャニショで買ったブロマイド。
初めて座った帝国劇場の柔らかな座席。
番組をリアタイするために走った帰り道。
特別な経験も、ありふれた日常も、すべてが新鮮で楽しかった。

現実を見ていないわけじゃない。
むしろ、自分の人生を豊かに強く生きていたいと願っているからこそ、彼をずっと応援していたいと思うのだ。

好きなものを、好きな人を、無邪気にずっと好きでいるのは難しい。
どんなにこの気持ちを永遠だと信じていたいと思っても、霧で航路を見失う船のように、不安定なものだと痛感した一年だった。

「応援してもらうのと同時に、藤井直樹としての成長もドキュメンタリーのように楽しんでもらいたい」
成長を、変化を、楽しんで、と言ってくれる人だ。
叶うなら、そのドキュメンタリーをずっと見つめていたい。
エンドロールが流れ終わっても、席を立たず拍手を送っていよう。
今、そう思えることを幸せに思う。

今年もお祝いが出来てよかった。
2023年の9月18日、また大好きでいられることを願ってて。

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