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自然科学研究においても強まる「ジェンダー」の規範

長らくブランクができてしまいましたが、久しぶりに記事を一つ書いておきたいと思います。

近年の欧米において「ポリティカル・コレクトネス」に対する意識の高まりが著しいのは皆さんもご存じのことかと思います。これは学術研究の世界においても例外ではありません。

例えば白饅頭氏の記事において、こうした事例がいくつか紹介されています。

社会学などの文系の学問だけならまだしもわからなくはないのですが、真実を探求する自然科学の研究においてもそうした「ただしさ」への圧力が強まってきたのは特筆すべきことと言えるでしょう。

そして、これは決して「一部の例外的な動き」ではないようです。

世界的に最も権威ある科学誌の一つ「ネイチャー」においても、近年はその傾向が顕著に見られるようになってきました。

これについては、取り上げうるトピックが色々あるのですが、今日は「ジェンダー」についての研究者への要求が厳格化してきている話をご紹介したいと思います。

最近、知人がネイチャーの系列誌に論文を投稿したのですが、その修正の際に編集者から送られてきた「ジェンダー」に関するガイドラインの余りの長さに度肝を抜かれたそうです。

メールの文面を直接転載するのは問題があると思われますが、ほぼ同様のガイドラインがウェブサイトに公開されているようですので、以下に注目すべきと思われる点を和訳とともに引用してみたいと思います。


Sex, gender (identity/presentation), and sexual orientation

性、ジェンダー(アイデンティティ/プレゼンテーション)、性的指向

研究者は、「研究における性と性別の公正-SAGER-ガイドライン」に従い、関連する場合には性と性別に関する考察を含めることが推奨する。研究計画を立てる際や投稿前に、ガイドラインの全文を参照することを推奨する。本ガイドラインは、ヒト、脊椎動物、細胞株を含む研究に適用される。

Researchers are encouraged to follow the ‘Sex and Gender Equity in Research – SAGER – guidelines’ and to include sex and gender considerations where relevant
(overview can be found here). We recommend consulting the full guidelines when designing research studies and before submission. These guidelines apply to studies involving humans, vertebrate animals and cell lines.

https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ethics-and-biosecurity#sex-gender-sexual-orientation

これはつまり、男性と女性の被験者について実験を行った場合などについては、男女差についての考察を加えることが推奨されるということですね。これは普通と言えば普通のことでしょうが、特筆すべきは実験動物、はては「細胞株」についてまでそれが要求されていることでしょう。

ヒトのがん細胞などに由来する「細胞株」は、培養していれば無限に増え続けることができるため、基礎医学研究においては、薬剤への応答性など、様々な実験に用いられています。もちろんこれにも、由来する検体の「性別」があるわけで、例えば「HeLa細胞」などは女性に由来する細胞株になります。こうした細胞株の「性別」も考慮することが推奨される、ということですね。

以下の推奨事項および要件(SAGERガイドラインからの抜粋)は、Natureジャーナル(NatureおよびNature Communicationsを含む)、Communicationsジャーナル、Natureパートナージャーナルで検討中の、ヒト参加者および脊椎動物を含む研究に適用される。2022年6月以降、Nature Cancer、Nature Communications、Nature Medicine、Nature Metabolismは、以下の(i)~(iii)の点について報告することを著者に積極的に奨励する試験的な試みを導入する。また、有害なジェンダー・ステレオタイプの不用意な永続化を避けるため、性差や性差に関する研究結果の責任ある伝達を強く求める

The following recommendations and requirements (adapted from the SAGER guidelines) will apply to studies under consideration at Nature journals (including Nature & Nature Communications), Communications Journals and Nature Partner Journals involving human participants and vertebrate animals, where relevant to the topic of study. From June 2022 onwards, Nature Cancer, Nature Communications, Nature Medicine and Nature Metabolism will introduce a pilot actively encouraging authors to report on points (i)-(iii) below. We also urge responsible communication of research findings on sex and gender differences so as to avoid inadvertent perpetuation of harmful gender stereotypes.

https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ethics-and-biosecurity#sex-gender-sexual-orientation

にわかにキナ臭くなってきました。「有害なジェンダー・ステレオタイプの不用意な永続化を避ける」べきとありますが、これはつまり「男性の方がリーダーシップに優れている」「女性は受動的な考え方をする傾向がある」などのデータや考察は、仮に統計的にそれを示唆するデータが得られたとしても、公表にあたり物言いがつく可能性が高そうです。これについては、後でもう少し述べたいと思います。

i. タイトルおよび/または抄録は、研究結果が一方の性または性別にのみ適用される場合はそれを示すべきである。
i. Title and/or abstract should indicate when the findings apply to only one sex or gender

https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ethics-and-biosecurity#sex-gender-sexual-orientation

かつては被験者や実験動物、細胞株等の性別をわざわざタイトルで明言することは少なかったと思いますが、最新のガイドラインではそれが求められているというわけですね。

性・性別に基づく分析が事前に行われた場合、結果は肯定的か否定的かにかかわらず報告されるべきである。有意義な結論を得るには不十分な研究デザイン(例えば、サンプルサイズが小さいなど)である場合、著者は事後的に性・性別に基づく分析を行うことを控えるべきである

iv. if sex- and gender-based analyses have been performed a priori, results should be reported regardless of positive or negative outcome. Authors should refrain from conducting post hoc sex- and gender-based analysis if the study design is insufficient (for example, low sample size) to enable meaningful conclusions.

https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ethics-and-biosecurity#sex-gender-sexual-orientation

これは一見もっともではありますが、おかしな話といえばおかしな話です。もし「有意義な結論を得るには不十分な研究デザイン」であるのなら「性・性別に基づく分析」だけでなく「あらゆる分析」を行うことを控えるべきでしょうから。

v. 性・性別に基づく解析が行われなかった場合、著者はNature Portfolio Reporting Summaryにおいて、解析が行われなかった理由を正当化すべきである。

v. If no sex- and gender-based analyses have been performed, authors should justify reasons for lack of analysis in the Nature Portfolio Reporting Summary.

https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ethics-and-biosecurity#sex-gender-sexual-orientation

性別に関しての解析をしない場合は、その釈明をする必要があるようです。

研究者は、他の個人的な属性や志向に関係なく、本来、功績、能力、創造性の評価に基づくべき学術研究において、男女間の平等を推進することが奨励される。

Researchers are encouraged to promote equality between men and women in their academic research which by nature should be grounded on the recognition of merit, competences and creativity, regardless of any other personal attributes or orientation.

https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ethics-and-biosecurity#sex-gender-sexual-orientation

いきなりすごい文言が飛び出してきました。誰かが一般論として書いているのなら何ということもない文面ですが、問題はこれが科学研究および論文投稿のガイドラインたる「editorial policies」に記載されていることです。すなわち、この指針にそぐわない論文は発表することが推奨されないという意味であると読み取れます。

性差別的、ミソジニスティック(女性嫌悪的・女性差別的)、および/または反LGBTQ+の内容は、倫理的に好ましくない。コンテンツの種類(研究、レビュー、オピニオン)にかかわらず、また研究の場合、研究プロジェクトが適切な倫理専門家によってレビューされ承認されたかどうかにかかわらず、編集者は、投稿に含まれる潜在的な性差別的、ミソジニスティック、および/または反LGBTQ+の仮定、意味合い、発言に関する懸念を著者に提起することができる; あるいは、「ヒト集団に関する研究」(上記参照)のセクションの指針基準I~IVを用いて、性差別的、ミソジニスティック、および/または反LGBTQ+的な内容の修正を要求し(または出版後に修正またはその他の方法で修正し)、厳しい場合には出版を拒否する(または出版後に撤回する)。

Sexist, misogynistic and/or anti-LGBTQ+ content is ethically objectionable. Regardless of content type (research, review or opinion) and, for research, regardless of whether a research project was reviewed and approved by appropriate ethics specialists, editors may raise with the authors concerns regarding potentially sexist, misogynistic, and/or anti-LGBTQ+ assumptions, implications or speech in their submission; engage external ethics experts to provide input on such issues as part of the peer review process; or request modifications to (or correct or otherwise amend post-publication), and in severe cases refuse publication of (or retract post-publication) sexist, misogynistic, and/or anti-LGBTQ+ content, using the guiding criteria I-IV in the section Research on human populations (see above).

https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ethics-and-biosecurity#sex-gender-sexual-orientation

さあ、いよいよクライマックスです。ポリティカルコレクトネスに反する論文は修正を要求するか、出版を阻止する。出版された後に発覚した場合は論文を取り下げさせるという内容を、強い意志を感じさせる文面で綴っています。

特徴的なのは「ミソジニスティック」という日常ではあまり出てこない単語を何度も用いながら「女性」に関する言及をしているところでしょう。先の記述も合わせて考えると、例えば「男性の方がリーダーシップに優れる」「男性の方が知能が高い」などといったデータについては、仮にそれが実験科学的、統計学的に精密なデータであっても、発表の撤回を要求される可能性が極めて高いと推測されます。一方で、男女の比較についての分析は強く推奨されているわけですから、まとめると中立的なデータや女性の活躍をエンカレッジするようなデータは積極的に出し、そうでないデータは出してはいけない、ということになってしまうと思われます。もちろん、これは直接的にそう要求されているわけではなく、あくまでこれらの記述を合わせて考えるとそう言っていることになるのではないか?というだけの話ですが、白饅頭氏の記事にあった Nature Human Behavior の一件なども併せて考えると、当たらずとも遠からずと言えそうです。

真実を追求すべき科学研究の世界が、徐々に「政治的ただしさ」に侵食されつつあるのではないか?という懸念を感じさせるを得ない一件であります。

ネイチャー誌については、その他にも「ジェンダー」や「ポリティカル・コレクトネス」に関するトピックが近年数多く見られます。もちろん、イギリスで出版される英語の科学誌にイギリス国民の方針が反映されることについては、他国の人間が口を挟むべくもないのかもしれませんが、科学研究の業界において世界最高の権威がこうした偏りともとれる動きを見せていることについては、やはり懸念を抱かざるを得ません。


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