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大作家文豪(おおさかふみたけ)の半生

 私は今、ホテルの一室にいて、この原稿の最後の手直しをしている。

 出版されれば『大作家文豪』名義での執筆活動における初めての自伝となる。
 私はこれまでノンフィクションと呼ばれる類のものは全て断ってきた。それが今回、筆を執ったのはなぜか?

 妻の体調が良くなったから……ではない。

 ようやく書けるようになったのだ。今までは単に書きたくとも書けなかったのである。
 こう書くと皆さんは不思議に思うだろう。どうして自分のことすら書けない人間が文筆家という職業を選んだのか、と。

 逆だ。私は「自分のことすら書けないから作家になった」のである。若い頃に奇妙な病気にかかり、作家になるより他になかったのだ。

 初めて症状が出たのは高校三年の冬のことであった。

 当時私は文通をしていた。その頃の雑誌には大概『文通コーナー』があった。
 一度出来心で女性のふりをして投稿したところ、涼子さんという女性から手紙が来てしまい、真実を明かせぬまま内気な女学生『文子』として返事を書いていた。別人格になり切って話を作るという行為は、いわく言いがたい興奮があった。

 それに味を占めて作家になった……わけではない。

 手紙を書く以外に作文などに興味はなく、授業とは教科書に落書きする事と心得ていた。期末試験の解答用紙に名前を書こうとした時、最初の症状が現れた。

 手元が狂う。なぜか思ったように動かない。『大作家』の『大』がどうしても書けないのだ(名にまつわる話は後述するが大作家文豪は本名である)。
 その時は自分の命運を左右する程の病だとは夢にも思わない。ただ腹立たしい。名前は後回しにして回答する。正しい選択肢に丸をする。問題ない。そこで名前を書こうとすると手が止まる。次の設問に進む。正しい組み合わせを線で結ぶ。問題ない。ならばと名前を書くとまた書けない。左手で試みるもやはり書けない。
 結局名前と記述問題は空白で提出した。要するに文字が書けなかったのだ。
 当然、試験後に担任から呼び出しを食った。
「どうしたんだお前?」
「すみません」
「他の先生にも聞いたぞ。全部無記名だって?」
「違うんです。その……」
「違わないよ。入試前になにふざけてんだ」
 ふざけてなどいない。真剣だ。ただ文字が書けないのだ。自分は文字が書けない病です。私は担任にそう答えた。
「そんな病気があるか」

 まるで相手にされない。当然だ。『書かない』のか『書けない』のかは本人のみぞ知る問題だ。脱脂粉乳が『飲めない』と言う時、これは『飲みたくない』の言い換えである。この奇妙な症状を説明する手立てはない。
 私は陰鬱な気持ちで職員室を後にした。

 帰宅すると涼子さんから手紙が届いていた。なんという間の悪さだろうと忌々しく思い、それからハッとなった。
(人を欺いてきたバチが当たったのでは?)
 弱った人間にありがちな発想だ。次回『高価な壺をお買い上げの巻』である。
 真実を打ち明けようと勇気を奮って万年筆を手にし、便箋に挑んだ。
『涼子さん』
 書ける!
 ただ字が書けるというだけで、私は踊り出したい気分になった。書けないのは単に試験の抑圧だったのだろう。私は文子の近況を綴った。
『実は恋文を渡されてしまったのですけれど、どうしたらよいか分からなくって。涼子さんはそういった経験、おありかしら?』

 字が書けることの歓びよ。文字の神様がいるなら拝みたい気分だった。

 書くことの歓びを知った私は作家を志すようになった……わけではない。

 やはり病だった。しかも症状はもっとひねくれていたのだ。
 さて便箋を折りたたんで封筒に入れ、宛先を書こうとしてまた手が止まった。
 書けない!
 試験の時と同じく、どうしても手が動かない。
 万年筆を放り出す。深呼吸をして便箋を引っ張り出す。書いた手紙を読み返す。内気な女子学生の文子は先日、近所の大学生から恋文を渡されて、涼子さんに意見を求めている。間違いなく自分で書いたものだ。

 あるものは書けて、あるものは書けない。一体何が異なるのか。

 私は身分を偽って文通している。つまり嘘を書いている。だが住所も嘘では手紙は届かない。だから本当だ。試験の名前も本当、試験の回答も本当……そうか。

 導き出された結論に、私は戦慄した。

 本当のことが、書けない。

 いや待て。一縷の望みをもって藁をも掴む。『涼子さん』は書けただろう?
 文子と書く。書ける。涼子と書く。書ける。文豪《ふみたけ》と書こうとする。書けない。手は少しも動かない。藁はやはり藁であった。私は溺没した。

 涼子さんもまた偽名なのだ。私たちはお互いに騙し合っていた。

 日が経つに連れ『本当のことが書けない』という症状の本当の恐ろしさが徐々に分かり始めた。
 このままでは高校卒業さえ危ういと総合病院に行った。外科か内科か精神科だろうかと考えた挙句、問診票が書けないことに気がついた。就職しようにも履歴書も書けない。自活しようにも下宿も借りられない。商売を始めようにも契約書も作れない。身分を証明しようにも免許証も取れない。

 身分詐称ノ罪ニヨリ未来ヲ剥奪ス。

 余りにも容赦のない実刑判決だった。意識が朦朧となった。どこをどう歩いたか分からない。我に返った時には多摩川に胸まで浸かっていた。
 この国に嘘吐きが暮らす場所はない。嘘吐きは…………嘘吐き?

 全く不意に、この『嘘吐き』が私の記憶を呼び覚ました。
 敢えて嘘吐きを標榜した作家がいた。
 生活よりも文学を尊んだ無頼の士がいた。
 沈みゆく夕日の上に、悩ましげな作家の肖像が浮かんで見えた。
「日蔭者の苦悶。生活の恐怖。私には解っているヨ」
 教科書で散々落書きした顔が、そう言って微笑んでいるようだった。

 彼らの歩んだ道を、私もまた歩もう!

 真冬の多摩川に半身浸かったまま、そう心に決めたのだった。

 家に帰るとすぐさま親に自分の決意を告げた。父は怒り、母は泣いた。だがこちらは天啓を受けたつもりでいる。自分は助けが必要な病で、作家になる他ないのだ。一カ月粘り続けてとうとう家に置いてもらえるよう約束を取り付けた。

 文章が書けることが分かればいいだろうと、大急ぎで短編を書いて手当たり次第に出版社を回った。贅沢など言うつもりもない。カストリだろうが紙芝居の原作だろうが芝居の台本だろうが書けるものなら何でも書いた。

 書けるもの、について簡単に説明しておこう。
 例えば『鳥が飛んでいる』は書けない。鳥は本当に飛ぶからだ。ならば『人間が飛ぶ』なら良いかというと、あらかじめ『生身の』という制限を設けておかないと、ある時点で書けなくなる。これが恐ろしい。一度原稿用紙百枚ほど進めて手が止まった時はどうなることかと思った。
『かの獣は鳥に似た姿で、疾風の如く走っては人を喰い、海に潜ってはクジラを追い回し、地に潜ってはマグマを飲む邪悪な存在だが、空は飛べなかった』
 これで万全だ。それでも手が止まる時があるが、それは病のせいではない。

 それから数年間は休んだ記憶がない。昼は食っていくために、夜は公募や文学賞に応募するために、書いて書いて書きまくった。
 そうこうするうちに、とある文学賞の最終選考に残ったと通知があった。受賞できれば仕事も増えると期待していたが落選した。選評の一つにこうあった。
『作品の出来以前の問題。斯様な筆名は文学を愚弄している』
 さすがにこれは看過できない。評者の家まで押しかけて戸籍謄本を振りかざし、本名であることを示して談判したところ、先生大いに済まなかったと謝罪して、再選考はできないがと言って月刊文芸誌のコラムの仕事を紹介してくれた。
 以来、先生のお宅に出入りするようになり、たまには清書なども手伝った。実は豪勢な夕食と妙齢の家政婦さんが目当てだった。彼女は今の妻である。

 女性目線『文子』で書いたコラムは好評で、他の執筆依頼も来るようになった。原稿を取りに来てくれる編集者が徐々に増え始めた。おかげで追い出される前に実家を出られる程になった。神田にある煙草屋の二階に格安の下宿を見つけ、布団と物書き机だけ持って引っ越した。名前と住所はゴム印を作り、悪筆だからと言って全てそれで済ませた。判子というのは誠に偉大な発明である。

 この頃から時折『本当のこと』が僅かに――苗字程度が――書けるような事が起き始めた。しかしそうかと思えばまた書けなかったりで結局フィクションしか書けない。癪にさわるので構わずにいた。結婚したのもこの頃である。まだ生活は苦しかったから籍だけ入れて、先生夫婦と互いの親に挨拶して済ませた。

 念願の文学賞を受賞するまで十年かかった。
 作家として、というよりもむしろ病に打ち克ったように思えて誇らしかった。多摩川入水を未遂で済ませて良かったと思った。
 授賞式の前日、先生から顔を出すよう電話があった。
 お宅を訪ねると先生は開口一番こう言われた。
「君、ちゃんとした服は持ってるのか?」
 服装など気にしたことがない。ありませんと言うと先生はそうかと頷いた。
「これからは少し気にかけなさい」
 そう仰って伊勢丹の包みを差し出した。開けてみると紋付袴であった。
 今だから言えるが受賞よりこちらの方がよほど嬉しかった。お礼を言おうと口を開くと先に嗚咽が漏れ、堪えると鼻水が垂れる。随分と気恥ずかしかった。

 授賞式に頂いた紋付袴を着て以来、和服を着るようになった。長年の無理が祟って腰を痛めていたのだが、角帯を締めたところ腰痛が大分楽だったのである。それでも愛用の物書き机は使い続けていた。椅子に変えたのは最近のことだ。

 受賞から二年ほどして困ったことが起きた。先生が全集を出版されることになり、その後記を書いて欲しいと頼まれた。これはさすがに断れない。さりとて嘘も書けない。最近は症状が緩和しているから、と試しに書いてみて驚いた。
 書ける!
 苦もなく書ける。涼子さんへの手紙以来、いやそれ以上の『書ける』喜びであった。あたかも万年筆に生命が宿り、嬉しさに踊り出したかのようであった。私は万感の思いを込め、ペン先の踊るに任せた。

 原稿はあっという間に書き上がった。暇もできたし熱海へでも行こうと旅支度を済ませ玄関に出た時のことだ。久しぶりに靴を履こうとしてはっと閃いた。

 病気が発症する原因が分かったのだ。

 最初は手の異常かと思った。しかし書けないのは真実だけ、しかも両手だ。ならば脳の異常である。何らかの刺激で脳が誤作動を起こす。高校で発症し、連載を持つようになった頃から症状が軽くなり、近年になって治まった。
 この流れと一致する所作にようやく気付いた。履物である。
 中学までは草履だった。高校で靴を履くようになる。靴べらなど使わない。指を突っ込んで靴の踵を入れる。この時に人差し指と踵が強く擦れる。

 人差し指と踵が擦れることで発症していたのだ。

 連載が始まってからは編集者が原稿を取りに来る。靴を履く機会が減って症状が不規則になり始めた。和装にしてからは雪駄か下駄を履く。指が踵に触ることがなくなり、症状は治まったというわけだ。
 医学的でない? 医学的である必要などない。どれだけ医学的でも治せないなら無意味である。理屈などなんでも構わない。症状が出なければいいのだ。
 ともかくこれが文筆業しか選べなかった理由であり、その理由を書けなかった理由であり、今こうして書けるようになった理由である。

 今日、私は礼服を着ている。モーニングである。
 遅まきながらの結婚披露宴にて、妻がどうしてもウェディングドレスを着たがったためだ。

 妻はとても嬉しそうで、とても美しい。

 最後に、どうも今朝から慌ただしかったせいで、家を出る時に靴べらを使ったかどうか記憶が定かではないことを、念のために付け加えておく。

(了)

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