幸せの再定義(相対的でなく絶対的な)note初投稿。正規雇用、非正規雇用の問題についての考え

バイト終わり。時刻は日付をまたいで50分が経過している。6畳間の部屋の中で1人用の小さなテーブルの上にコンビニで買ったコロコロチキンときんぴらごぼうを置き、彼女からもらったレモンサワーを飲みながらパソコンの前に座っている。今現在がまるで過去のように思える、自分のこの行動がノスタルジックな回想に思えてくる。

私は書くことが上手だと言われた。私のバイト先では4か月ごとに目標設定をするのだが、その時に私が書いた文章を見て、ある方には文章がうまいだとか、よく考えているだとか言っていただいた。私はこれまで人生の多くの時間を数字や数式の処理に使っていたから、言語能力に関してはあまり高いほうではないと思う。読書家といえるほど本を読んでいたわけではないし、あるいは他人とのコミニュケーションになるとひどく困難が生じていた。したがってかねてから言語能力に関してはあまり自信がなかった。

私はすごく内向的な性格であるらしい。私は1人で温泉に行く。その温泉は私と同年代あるいは私より少し年下の若い人が多数来ているが、彼らはみな仲間ときているのであって、私みたいに1人で来ていることは非常に稀だ。私は温泉に友達と行くのはもちろん好きではあるが、その温泉に設置してある、「五右衛門風呂」調の浴槽に使って、空を眺め、雲の行方を眺めながら1人考え事にふけるほうが非常に好きなのである。しかし考えるだけではその考えは消え去っていくだけだし、また、自分で文章に起こしたほうが思考が自らの脳内に刻まれていくような感覚がある。また、私と同じことを思っている人がもしかしたらいるのかもしれないし、あるいはこのnoteというサイトは自らの収益にはならないにしても、自分の思考を整理する領域として有用な効果を与えてくれると信じているから、これを始めることとする。

今日は軽くアルバイトのことを考えた。私はスターバックスコーヒーでアルバイトととして働いている。その前はサンマルクカフェというお店で働いていた。サンマルクカフェではよい出会いもあったが、それと同時に悪いこともあった。主婦の方による学生に対する悪口や、店長による学生に対する嫌がらせ、あるいは何か問題が起こった際にそれが誰によるものか犯人捜し、このように前のバイト先はもちろん良いこともあった反面、ありえないような労働環境であった。まるで畜生が働くような環境である。労働基準法も完全に無視した12時間労働もひどいものであった。店長に好かれるのが上手な「世渡り上手」な女性は毎日のようにこのバイト先に出入りし、1日12時間労働をこなしたり、あるいはその労働時間の途中でほかの店舗にヘルプに行ったりして、その人は非常にタフであったのか、要領がよかったのかわからないけれど、その12時間労働により多くの利益を得ていたようで、本人も満足していたようである。

私はこのような労働環境において精神を病んだ。新人に対する色眼鏡で見る経験者、仕事ができない人に対していやがらせをするなどありえないことが行われていたから、社内は疑心暗鬼のような状態、まさに畜生に適した環境である。私はこれがありえなく、耐えられなかったために、ほかのバイトに移ろうと考え、とりあえず辞職した。そして1回映画館のバイトをはじめ、その最中に、自分がかねてから働きたかったスターバックスコーヒーに応募するとそれが受かり、スターバックスコーヒーで働けることとなった。

スターバックスコーヒーで働いてからは私の人生は完全に変わったと思う。単純に自分の時間を切り売りするような労働から、相手を尊敬し、また自分も尊敬される、そして毎日笑いが絶えない明るい職場、出勤したらありがとうと言っていただけるうえ、スターバックスで好きなドリンクを飲むことができる、また休憩、退勤の際も好きなドリンクをもらうことができる。そして今日も1日ありがとうと感謝される。

アルバイトは時間の切り売りだとよく言われる。私がおかしくて仕方がないと思うのが、この世の中のほぼすべての非正規雇用が最低賃金の時給がつけられていることだ。また、非正規雇用者は、これに対してストライキなどを起こし、賃金を上げようと行動する気配も全くない。会社から、非正規雇用者は、法律によって定められた最低賃金という給与をもらっていることは会社から搾取されていることだと思うが、彼らはそれに気づいていないのか、それともあきらめているのか、満足しているのかわからないが、私がおかしいと思うのは、非正規雇用者の賃金は法律によって定められた最低賃金の300円上でもいいと思うし、或いは土日働いても平日働いても給与が全く変わらないことで、土日は明らかに消費が増え、会社としての収益も多くなっているはずなのに、非正規雇用者は毎日同じ金額、しかも最低賃金で働かされている点である。こんなことをしていては、同じお金をもらっていて、楽に働ける平日のほうがよくて、土日はシフトに入りたくないと思うのも必至である。

アルバイトは会社からごみのような扱いを受けている。スターバックスに関しては別である。私たちは賃金では測れないほどの倫理的な教育、福利厚生、心の充実を受けているからである。しかしそのほかの多くの業界は、アルバイトにマネジメントをやらせたりだとか、ありえないことをさせている。最低賃金でできるだけ多くのことをさせて、ぼろぼろになるまで働かせて、このような労働環境はおかしいことではないか。健康で文化的な生活が送れているとは全く思えない。

じゃあ正規雇用はどうかというと、正規雇用に対しても、同様に会社から搾取されているものと思う。正規雇用は会社側から見ると、毎日会社を管理し、市場の変化に対応されるため、毎日会社に常駐する人を、つまり悪く言えば、奴隷のように会社に縛ることができる操り人形を作ることが必要だと考えるだろう。正規雇用者は、朝8時に起き、19時に退社するといった生活を人生の5/7費やすこととなる。私は本来、我々の身体の健康は時間によって管理されるべきではないと考える。我々の身体は時間によって管理されるのではなく、眠くなったら寝て、おなかがすいたら食べる、というように欲求に忠実である必要があると考える。これを時間によって縛り付けようなど、会社が労働者を奴隷のように扱っているようにしか思えないのだ。

私たちはこの社会に生まれ、素晴らしい教育を受けた。しかしその先、つまり社会人になるということは、お金を生み出すことであるが、その人生のうちの5/7はどこかの会社に所属し、資本主義の奴隷になるべきなのか、いやそんなはずはない。私たちはあまりに幸せというステレオタイプを植え付けられていて、それらは会社に雇用されることを中心としているように思う。私たちは私たちが幸せであるために、本来そこまで多くの労働を必要としない。幸せのステレオタイプが私たちの消費を加速させるベクトルに向き、そして私たちを労働に縛り付けているのかもしれない。そりゃそうだ。国民の消費が増えれば経済はうまく回るから。しかし消費することは本当に幸せにつながるのか、そんなはずはない。

私は日本という国に生まれた。道路、警察、消防、救急、水道など、私たちが生活するのに困らないほどの豊かな暮らしを享受している。しかし同時にこれらを維持するためには莫大な費用が掛かっていることを最近知った。それは税金として国から徴収される。私たちが豊かな暮らしを享受するためには納税、つまり働かなければならない。

しかしこれらの働き方が本当に自分にとって幸せをもたらすものであるか考え直す必要がある。今ではゲームしている様子を配信するだけで収益が得られたりするようだ。自分にとっての幸せとは何か考える必要があるかもしれない。

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