ガソリン代を払ってくれない友達

我々は大型ショッピングモールに向かっていた。彼がそこに行きたいといったのだ。そのショッピングモールは会員制で、年会費5000円を払った人とその同伴一人が入場できる。それにつれて行ってくれといったのだ。

私の車で行くことになった。ガソリン代はたぶん払ってくれないのだろうなと、過去の経験からわかっていたから、最初から行くのが憂鬱であった。けれどもなにか新しい発見があるかもしれないと、あきらめきれない私は行くことにした。また、ガソリンのクーポン券をたまたま持ち合わせていたこともあった。

彼の家に迎えに行った。彼はこういった。「最近週2000円で生活しているんだ。お金は使えない」彼は最近非常に高額な買い物をしたらしかった。ショッピングモールに行くにもかかわらずお金を使えないとは?内心疑問に思う。私の憂鬱は頂点に達した。

我々はショッピングモールに到着し、そこで食事をいくらか買い、お店を後にした。そのあと別の場所に観光に行こうといわれたが、到底行きたくはなかった。彼といても楽しくないから。

後日彼は買い物した分のお金を返してくれたが、その額は200円少なかった。わざとではないと思う。彼はうっかりしているのだ。

ガソリン代は当然のように返してくれなかった。ガソリンは経費であり、二人で遊びに行くなら分割して支払うべきであるということは自明である。また、我々の住んでいる社会では誰かが誰かに対して労働をしたとき、この場合では私が運転したことが当たるが、給与が支払われる。給与+経費を返すべきである。お金じゃなくてもいい、気持でもいい。「運転してくれてありがとう」でもいい。そういった言葉はどうして彼の口からは出ないのであろうか。彼はアメリカの会計学の資格を取るため、毎日猛勉強をしていると豪語し、実際にそれをしていたようだった。会計学の勉強はできても、車が走るときにガソリンが減るということを知らないなんて無能だと思った。

お金のことばかり気にしている私は愚かだという人がいるかもしれない。しかしなぜ私がそこまでお金のことを気にするかというと、おそらくは、私がお金以上の価値があるものを感じ取れなかったからだ。

友情、思い出、気遣い、やさしさ、こういったものはお金では換えられないものである。また、友達のことを心から尊敬していたり、一緒にいて楽しいと思える友達であったり、自分にはない優れた部分を持っている友達と一緒に遊びに行ったとしたら、ガソリン代のことなんてどうでもいいと、むしろそんなことを気にするほどちまちましている自分に罪悪感を覚えるだろう。それよりもこんなに素敵な友達と遊びに行けたことに対する満足感が本来は得られるはずなのである。

私がお金のことを気にしないといけないのは、彼がそのようなものを持ち合わせていないからであると最近気づいた。

一緒に遊びに行っても自分のことばかりに没頭する彼。彼はいつも自分が中心にあり、周りのことが見えていないのである。これを彼に行ったらこういうだろう。アメリカではこれが普通だよと。

私と彼は大学1年生のときに出会ってから約4年が経とうとするのに、うわべだけで接していることに気づいた。私は自覚がない、しかし彼は本音で接してくれていないと思う。

彼とは趣味が合うし、いろいろな場所に出かけた。しかし、21歳後半になってやっと、重要なのは遊びに行く場所なのではなく、人なのだとあらためて気づく。

うわべだけで付き合う関係が必要であろうか?私には到底必要ない。心底信じあえる友達、本音で接することができる友達は別にいる。それがあれば充分である。

だからこそ私はガソリン代を払ってとか、そういうことを言わず、彼に対してあきらめの気持ちを覚えているのだと思う。

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