本音で接するとは?

本音で接することができる友達は感性や気持ちが共有できる(あるいは似ている部分が多い)からである。

感性や気持ちが共有できない友達に本音で接していたら、四六時中、喧嘩、或いは討論することになるだろう。

したがってそれは自分の力で本音で接しよう!なんて思ったって無駄なことであるし、むしろ社会性を失いかねない危険行為でもあると思う。昔から人間は社会にうまいこと適合できないと、生命の危機にさらされるという、潜在的な恐怖を持っているから、意見の違う相手とぶつからないよう、自動的に調整機能を働かせているはずであるため。

以上より、感性や気持ちを共有できない人とは一生本音で語り合えず、うわべだけの関係になってしまうだろう。

じゃあ感性の異なる人とは必ずしも仲良くできないのか、そういうことではない。ここで人間の理性が力を発揮する。君のこういう意見は理解したよ、けど私はこういう風に思う、というように、相手の意見も尊重しながら自分の意見も述べることができる。これが相互理解だと思う。

相手が自分の意見と違うと感じた時、まず「いや」とか、「いや、そうとは限らないよ」と否定する人がいる。これは相手の意見を丸つぶしにして自分の意見だけが正しいと思っているため、まったくもって相互理解にはつながらない。また、相手もこうやって自分の意見を認めてくれず、否定ばかりするような人とは距離を置きたくなるのも自明であろう。

私は相互理解を目指しながら生活している。

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