機が熟して初めて動ける

 久しぶりに note に顔見せです。


「ゆきなおさんって、今何の仕事してるの?」

 と、よく聞かれます。ここ note でも職歴を表立って語ったことないですが、専業の家庭教師をやっています。

 もとはフツーの株式会社に勤める会社員でした。生まれた新潟市で大学院までを過ごし、100 kmほど離れた他の市町村に就職の関係で移り住みました。

 5年を過ごしたあたりから「このままでいいんだろうか」という気持ちを抱くようになりました。そのまま3年が経過し、8年勤めて地元に帰りました。

 その3年のうちにいろいろありました。鬱病一歩手前まで行きました。やりたいことができました。「帰省してくるたびに別人のようになっている。笑わなくなっている。そのことに気づいているか?」と言われる程度には、家族に心配をかけまくりました。やりたいことの勉強を続けました。「このままでいいんだろうか」という迷いを抱きながらその先を過ごし、10年後、20年後に「このままでよかったんだろうか」という後悔を薬漬けになりながら抱いている自分がリアルに想像できて恐怖しました。


 あるとき、根拠もなく「今だ」と思いました。「今しかない」と思いました。そのとき交際していた恋人に去られるかも知れないとも思いました。でも「今しかない」と思いました。


 家族に伝えました。家族は「決めたなら、そうするのが最善の道」と言いました。恋人に伝えました。大きな衝撃を与え、大いに悩ませることになりましたが、去ることなく一緒に居続けてくれました。


 その年度末をもって、退職しました。


 地元に戻り、やりたいことの実現に向けて動きました。なかなかうまく行きません。その途上の糧のため、家庭教師を始めました。かつて経験していたこと、基礎学力が備わっていたこと、身近に先輩がいたことなどがきっかけとなり、それを始めました。次第に、その道の経験も増えて行きました。


 今は、あの3年間に感じていた恐怖がありません。矛盾したことを言うかも知れないですが、「不安はあれども心穏やか」。これが今の状態です。


 自分の選択の正否はおそらく死ぬ間際に下せると思いますので、それまでは保留しておきます。ただ、今言えるのは、いろいろあって3年目の「今しかない」、あれが機が熟した瞬間だろうということです。

 傍目には、退職後の具体的準備が整わない状況で飛び出すなど無謀極まることで、何の機も熟してないと言われるでしょう。それでも、あのとき動かなければ、おそらく一生動かず「このままでよかったんだろうか」という後悔の念に縛られた晩年を迎えたと思います。何の機が熟したのか解りませんが、そのとき確かに何かの機が熟したんだと思います。3年かけてゆっくりゆっくり熟して行ったんだと思います。


 熟した実の中には種があります。

 この種が芽吹くか否か、すべては自分次第ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?