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「知識」の話

 喩え話でこんな話があります。


 信号機を知らない少年と、信号機を知っている少年が一緒に歩いていました。2人が信号機のある交差点にさしかかりました。

   信号は赤です。

   信号機を知っている少年は、もちろん赤い信号の意味を知っているので止まります。しかし、信号機を知らない少年はそのまま歩いて行こうとします。信号機を知っている少年は、大きな声で「ダメだよ! 止まって!」と叫びました。信号機を知らない少年は驚いて、言われるがままに歩くのをやめました。

   次の交差点でも、信号は赤でした。

   信号機を知っている少年は、当然止まります。しかし、信号機を知らない少年は、また歩いて行こうとします。そして再び信号機を知っている少年の「ダメだよ!」でようやく止まるのです。


   この話はいろいろな捉え方ができます。私は「知らない」ということがどういうことなのか?   知ることで何ができるようになるのか?   について考えました。

「知らない」ということは、「知っている」他人に自分の行動を委ねることになります。「ダメだよ!」の一言で歩くのを止められた信号機を知らない少年のように。

   ただ、信号機を知らない少年も、一度信号の意味を知れば、信号が赤のとき、自分の判断で止まることができるようになります。自分の行動を自分で決められるようになるのです。

 知識とは何か?   なぜ勉強しそれを得るのか?   私は、知識は考える材料であり、自分で考えて行動できるようになるために勉強をするのだと思います。


 皆さんはどうお考えになりますか?

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