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自分が選択できるという事

まとまりがないけど、書く。

自分のやりたいこと=絵を描く時間を作る、ことができるようになってきた。
描きながら「平和」や「幸福」を感じていた。
こんなの描くの私しかいないよな〜(笑)って。
今描いてる絵は3月中に完成させるんだ!

自分のやりたいことをやる、何をしたいか自分が選択できるという事、それを最近はよく感じる。仕事や日常、色んな場面で。
私は人の言葉や判断に影響を受けやすく、そのまま相手の意見に従ってしまったり、それで自分自身への判断を下してしまうことが多い。

(うーーん・・・最近「嫌われる勇気」という本を読んでいるから、目的論で考えると・・w)

《自分で選択したり、自分への判断を下すのが怖いから、人の言葉や判断に影響を受けようとしている》

つまり、自分で選択しないために、ということになる。
そもそもなぜ怖いと感じるのだろう。

人から容姿をからかわれ、人から拒否されることを体験して、人と深い仲になろうとする時に恐怖心を抱くようになったり、自分がダメなんだと自己否定するようになった。
特に恋愛に対して最近はこれが顕著だと思う。相手がどんな判断をするか必要以上に過敏になって反応して、自分が苦しくなってしまう。

相手がどう判断するかは相手の問題なのに、それを自分の全てのように感じ取ってしまう。今も正直穏やかではない。

うん、まずは深呼吸をしましょ。

相手のことを自分の中に入れずに、自分を主語にする。
私の容姿を揶揄う奴らに、私の価値を理解してもらえなくていい。
そんなクズな奴らはこちらから願い下げだ。もちろんそれで傷ついたり悲しくなることはあったけれども、私がいけないと、私がダメだと思う必要は1mmもない。
だから、過去の出来事から私がダメだと思わなくていいんだよね。

人から拒否されたり、振られちゃった時。
急にブロックするというのはあまりにも不誠実だ。それだからといって、私に落ち度や私がダメだと思う必要は全くない。
振られちゃった時は、それこそ相手の判断だ。
悲しい出来事かもしれないけど、ここでも自分がダメだったからって思う必要ないよね。

どんな場面でも「自分が」選択できる。「自分を」主語にする。
私は私であって。優しさや暖かさ、朗らかさ、絵を描く感性の高さ、行動力、好奇心や無邪気さに溢れている人だ。相手の判断=自分がダメと結びつけなくていい。

私は自分の中にあるものをもっともっと愛おしく、大事にしたい。
それをただただ発揮させたい。
そのためにも、相手のことと私を切り離して生きたい。
1人で生きたいのではない。相手が・・とかあの人が・・の前に「私は」を主語に持ってくる。

《私はこう考える、私はこうしたい》
私は充分な存在だ。光もあれば影もある。その強さも時によって違う時がある。
それすらも自分。
私はただ穏やかにケラケラ笑って、たくさん美味しいもの食べて、たくさんぐっすり寝て、やりたいことを心から穏やかに楽しく自分にさせてあげる。そんな自分でいたい。
自分という存在を大事に、愛おしく。
相手を自分に入れない。自分は自分で満たされるものだから。

とにかく「私」を主語にしていこう!
大丈夫。私だから。

こうやって、自分と向き合って「私」を主語にしていく過程を自分で切り開けたこと素晴らしい!!素晴らしい行動力!!正直、素直!!自分を大事にしている!!
自分を愛おしく丁寧に扱ってる!!

どんな場面でも、自分が選択できるのだから。
大丈夫。