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平成以降、総理の道を歩もうとした偉大な政治家たち Part1


1.渡辺 美智雄

栃木県が地盤の元衆議院議員。読売新聞の元記者。

元大蔵大臣、外務大臣、党政調会長、
1990年に派閥会長に就任し、翌年総裁選に出馬するも
リクルート事件の関与や中曽根元総理の影響もあり、
求心力が低下。

宮沢喜一に総理の座を奪われ、2度目の総裁選も
健康上の悪化から河野洋平氏に総裁の座を取られ、
新党にもいかず、社民の村山氏を総理に推す自民党に
反対し、海部氏に投票したことから党総裁の座から
離れてしまった。

2.三塚 博

宮城3区の衆議院議員。元獣医師
運輸大臣、通産大臣、大蔵大臣、党幹事長を歴任。

1991年に安倍元総理の父である安倍晋太郎外相が
亡くなると、分裂を得て派閥会長に就任。

しかし派閥は派内の森元総理や小泉元総理が実質的に
影響力がある形であり、総裁選では宮沢喜一氏に敗れる。

株式会社北海道拓殖銀行の破綻を受け、
大蔵省接待汚職事件など明るみとなり大臣を辞任。

地盤である県知事選でも自らが推した候補が敗れ、
2003年に政界を引退。

なお現在の地盤は三塚氏の秘書で元環境大臣の西村明宏議員が
継いでいる。

3.河野 洋平

元衆議院議員、野党時代の自民党総裁
副総理、外務大臣、衆議院議員議長、自民党総裁を歴任。

なお自民党総裁選で勝利しても野党であったため、
総理にはなれなかった。

のちに河野談話で波紋を呼ぶことになり、
自身の派閥は麻生太郎副総裁が現在継いでいる。

神奈川出身の国会議員だが、河野洋平の地盤は17区であり、
河野太郎デジタル大臣は15区など、
地盤の継承は親子間でしていないといったエピソードもある。

4.梶山 静六

茨城県選出の衆議院議員、通産大臣、法務大臣、自治大臣、
幹事長を歴任。

総理としての期待もされている一人だったが、
幹事長に就任後、同じ派で有力議員の小沢一郎氏が
羽田派を結成し、分裂してしまい、
自民党が下野し執行部の一員として責任を取られ、
引責辞任となる。

橋本総裁誕生を機に自ら支援したこともあり、
官房長官に就任する。

しかし自社さ派である加藤氏と野中氏との対立が響き、
官房長官を退任。

総裁選に出馬し大健闘を果たすも、
小渕氏に敗れた。

5.加藤 紘一

元衆議院議員で現在の加藤少子化対策担当大臣の父である。

元自民党幹事長、内閣官房長官を歴任。

岸田総理が新人議員時代に支えていた大物議員であり、
自民党の歴史にも残る記録を成した方。

2000年に加藤の乱を起こし、自民党議員が大量離脱を危惧する
事態に陥るも、小泉元総理ら清和会によって
その目論見は失敗に終わり、自らは自民党を離れることに。

総裁の座を逃し、宏池会にも歴史に名を残した方である。



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