幸乃と浪曲1

入門の経緯とか、なぜ浪曲師になろうと思ったのか、などを忘れないように書いてみました。本来であれば、弟子が師匠の感想を書くというのは失礼なことだと思いますが、今回は入門前の私の、当時の感想ということでお許しいただけたらと思います。

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私が浪曲師になったきっかけは、なんといっても師匠幸枝若の浪曲を生で聴いたことでした。

私の出身は、東京と埼玉の県境でして(ギリギリ埼玉)、10代の頃からバンド活動などしたりして、将来は歌や音楽に携わる仕事をしたいと思っていました。しかしなかなかうまくはいかずバイトに明け暮れる日々。

ある日母親の付き添いで行った落語会がきっかけで生の落語の魅力を知り、落語会に通い詰めるようになりました。音楽の仕事をしたいと思っていた私ですが、音楽は趣味でやる方が楽しいのかもなぁとなんとなく思い始め、仕事もいつの間にか正社員になり、それなりに充実した生活をしていました。しかしどうしても表舞台に立つ仕事への憧れは捨てきれず、常に心のどこかにあるような状態。

そんな中、訪れた落語会に浪曲師が出演しており、そこで初めて浪曲に出会いました。

大好きな古典の面白さと音楽的要素が備わっている!

しかし三味線を弾く曲師さんは「うーん」「あいっ」とか面白い声を出してるし、浪曲師は凄い顔して頭の血管が切れそうなほど大声を出している…。変わった芸があるものだ。

家に帰ってインターネットで調べてみましたが、ビックリするほど情報がでてこない。落語なら演目を検索すればすぐにあらすじが出てくるのに。謎の多い浪曲が気になって、その後も東京の浪曲会に行ったり、浪曲初心者のための教室へ通ってみたり。

そうこうしているうちに、浪曲ファンの常連のKさんから言われました。

「浪曲が好きになったなら、一度は大阪の一心寺へ行くといいですよ」

この一言がきっかけで私の人生が大きく変わりました。

大阪の一心寺では、関西浪曲師の拠点である「浪曲親友協会」その寄席が毎月3日間実施されています。

2017年1月、年末の仕事に疲れた私は、リフレッシュがてら好きな落語家さん(立川こしら師匠)を追っかけて、京都旅行に行こうと思い立ちました。そのことをツイートすると演芸好きのYさんからリプライ「ちょっと早く出て、一心寺に足を延ばしたらどうですか」

そうか大阪と京都は近いのか、と巧妙に勧められるままに初めての大阪。着いたところは「一心寺門前浪曲寄席」、そしてその日に出演していたのが、後に私が弟子入り志願をすることになる師匠「二代目 京山幸枝若」だったのです。

その日の演題は「左甚五郎 天王寺の眠り猫」甚五郎ものといえば、落語にもあるようにケレン(笑える話)のイメージです。そして初めて聴いた師匠の浪曲も笑いがあり、リズミカルな節が心地の良い演目でした。古典でこんなに楽しい浪曲があるんだなぁと思いうっとりして聴いていましたが、聴いているうちに不思議と、涙が出てきたのです。もちろん悲しいわけではありません。楽しいを通り越して、幸せ!という気分になり、声の圧倒的な力にビリビリと打ち震えるように感激したのでした。これは落語や講談を聴いたときとは違う、初めての体験だ。

終演後、天王寺駅までのそこそこ長い道のりを歩きながら、会場で会った知人たち(東京から来ていた浪曲ファン)に、興奮を伝えました。私は名前の読み方さえわからなかったのですが、「キョウヤマ コウシワカ師匠だよ」と教えてもらいました。そして師匠の生い立ちの話(Wikipedia情報)を聞き、あまりにドラマのような話に驚きました。(事実は小説より奇なり。ご存じない方はぜひご一読ください。)

その日から私は、もう一度師匠の浪曲が聴きたい!どうしても聴きたい!という禁断症状に陥ってしまうのでした。

(その2に続く)

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