マンガ沼で「東独にいた」が紹介された話

 こんにちは、雪乃です。とうとうこの時が来ました。テレビで私の激推しマンガ「東独にいた」が紹介されたんですよ。しかも作者の宮下先生も出演されて、もう本当に咽び泣きながら見ました。嬉しすぎる!!
 アメトークで作品名が登場しただけでも嬉しかったんですが、こうやってガッツリ特集が組まれるとさらに嬉しいです。5巻が発売された日は午後に仕事を休んで買いに行ったくらいには好きなので。

 作品紹介のときに私が言いたいことを全部言ってくれたし、先生と担当さんのお話も聞けたし、これがあと1週あると思うとヤバい。あと先生の過去作もいつか書籍化してほしいです。最初期の作品、超読みたい。

  ってことでこの嬉しさに浸りたいので、今日は「東独にいた」の話をします。前回語った記事はこちらから。↓あらすじとかはここで書いてます。

 番組内でも言及されていた、挑戦的な演出。とくに15話の鉛筆で描かれたシーン、大好きです。背景の書き込みが本当に細かくて写実的なのに、鉛筆で描かれていることでどこかノスタルジックにも映る。あのシーンは鉛筆で描かれることで、アナの生きた時代が「過去」であること、アナの生きる時代がいつの日か過去になってゆくことを一層意識させてくれる気がします。「東独にいた」はどこまでも「今」を追求した作品であるにも関わらず、作品名は「いた」と過去形が使われている。そんなタイトルの妙があの鉛筆描きのシーンに凝縮されています。

そして写真をそのまま使った扉絵。「違う顔」の扉絵が紹介されました。顔ちゃん地上波デビューおめでとう!違う顔ちゃん好きだから嬉しい!!!扉絵だけで本人出てないけど!!
 あの写真の扉絵、良いですよね……。アジャーエフ族が本当にいるような気がしてきて。おそらく作中でもっとも現実離れしたキャラ「違う顔」の存在が、あの写真によってにわかに現実味を帯びる。「違う顔」の出身であるアジャーエフ族の設定の作り込みとも相まって、じっとりとリアリティが出る回です。

 「東独にいた」は群像劇にしてバトルマンガ。超人対超人のバトルが、圧倒的なスピード感と奥行きを持って冷戦下の時代を駆け抜けてゆく展開はまさしく唯一無二。超人たちの個性が強いので私はけっこうキャラ萌え的な視点でも読んでしまうのですが、かといってキャラものに偏りすぎることもないバランスも絶妙なんです。キャラクターがイデオロギーを、信念を、愛を持って生きて、そして散っていく。大きな時代のうねりの中で、物語そのものに鼓動を感じさせてくれるドラマ性をも兼ね備えた作品です。

 群像劇というだけあって、人間関係の描き方も大好きなんです。イデオロギーが絡み合う人間関係の中でも好きなのが、やっぱり主人公であるアナとユキロウの関係。軍人であるアナと、反体制組織の頭目「フレンダー」であるユキロウ。2人の歩く道は決して交わらないにも関わらず、2人の間に図らずも生まれる共鳴。魂の奥底では同じ場所で落ち合ってしまえるような危うさと、生まれる国や時代が違っていればありえたはずの未来を2人が思う切なさ。両親の死に際してすら涙を見せなかったアナの涙を引き出したユキロウと、「ユキロウ」でも「フレンダー」でもないユキロウの一面を引き出したアナ。互いの人間的な部分を意図せず引き出しあってしまうところ。2人の関係性の好きなところをあげたらキリがありませんのでさすがに割愛。
 2人がどこに着地点を見出すのか、その1つの答えが示されたのが15話。人生が1つしかないからこそ、選べる道も1つだけ。多くの「if」を読者に投げかけた上で2人が選ぶ答えに、涙が止まらなくなる神回です。

 番組内でも言及があったように、台詞もすごく好き。どのキャラクターが発する台詞であっても、強靭かつシンプルな言葉選びに裏打ちされた血の通った台詞ばかり。ちなみに私が好きな台詞は最強の殺し屋・違う顔の「そんなもんがないからこそプロなのです」。なおこの台詞において「そんなもん」とは、「イデオロギー」という語に振られたルビ。反体制組織を前にしてイデオロギーを「そんなもん」と言い切ってしまえるところに違う顔の格の違いが表れていて好きです。

 今後はキャラ中心に語る記事とか、好きな関係性について語る記事も書きたいです。「東独にいた」は本当、定期的に騒ぎたいです。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。